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奴隷のたとえ話

すごく好きな奴隷のたとえ話があります。この話は、僕が自分で考えたのではありません。かつて、どこかから仕入れてきたはずの話です。しかし、僕は、いつ、誰が、どこで言っていた話なのかはまったく覚えていないのです。

それは、こんな話。

人は奴隷の身分に落とされると、領主に対して反発します。当然です。誰も、自分が奴隷に相応しい人間だと考える人なんていないのですから。だから、第一世代の奴隷というのは、とにかく反抗します。仕事だってきちんとやろうとしないし、それに、隙あれば何度も何度も反乱を企てます。彼らは何とかして奴隷という状態から脱出しようとするのです。

しかし、現実は厳しいものです。そうした奴隷たちの反乱は、何度も何度も領主によって完膚なきまでに鎮圧されます。やればやるだけ無駄なのです。しかも、反乱が鎮圧される度、奴隷たちのリーダーが残虐な方法で殺されます。殺されるのは、きまってリーダーだけです。なぜなら、奴隷がいなくなってしまったら、領主のほうが困るからです。だから領主は、何度反乱が起きても、奴隷たちのことは許すのです。ただ一人、彼らを扇動したリーダーを除いて。

そのような状態が続くとどうなるでしょうか。奴隷たちの中から、反乱を起こそうと企てる者がいなくなるのです。なぜなら、どうせ反乱を企てたところで、鎮圧されるに決まっているのですから。それに、そのときに自分だけが殺されるのは、誰だって嫌だからです。

では、反乱を起こさなくなった奴隷たちはどうなるのでしょうか。彼らは、解放を求める代わりに奴隷としての立場でより優遇されることを求めるようになります。環境に適応しようとするのです。そのとき、領主は言うのです。もしもお前が理想的な奴隷であれば、お前を優遇してやろう、と。

さて、そのような状態のまま年月が過ぎていきます。奴隷たちの間に子どもが生まれ、またその子どもたちの間に子どもが生まれます。当然のことながら、奴隷の子どももまた、奴隷です。

そうして世代を経ていくと、奴隷たちはだんだん自分たちが奴隷であることに誇りを感じ、自分が奴隷であることはむしろ権利だと考えるようになるのです。なぜなら、自分が優れた奴隷であれば、それだけ自分はその奴隷社会で優位に立てるのですから。

それに、奴隷の子どもたちや孫たちは、本来自分が奴隷ではないはずだとは考えもしないようになります。彼らは、生まれてこのかた奴隷しか見たことがないのですから。

それでは、奴隷であることが当然のことだと考えるようになった者たちはどうなるのでしょうか。彼らは、自分の足首についた鎖について互いに比較し始めるのです。俺の鎖のほうがお前よりきれいだとか、俺の鎖のほうがお前の鎖よりも頑丈だ、なんてことをお互いに言いだすようになるのです。さらには、足首の鎖こそが人間の証である、とまで言い出す者も出てくるかもしれません。彼らは、奴隷しか見たことがないのですから。

と、いう話です。

僕は、この話は人間や人間社会というものを的確に言い表していると思うのです。それと同時に、では奴隷たちはこれからいったいどうすればよいのか、かつてどうすればよかったのか、まったく答えがわからないでいます。

で、この話の元ネタがいったい何なのか、僕は何も覚えていないのです。ただ確実なのは、これは僕が考えた話ではなく、どこかで誰かがすでに言っていた話だということです。

どなたかこの話の元ネタをご存じの方はいますか?

もしいたら、教えてください。よろしくお願いします。

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