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詩人や歌人の分類は可能か その2

今日も雲一つない青空でした。明日は春分ですものね。

今日も昨日の話の続きです。

昨日、分類は可能か、それに意味があるのかはどうでもいい、と書きましたが、とはいえ一応、まったく無視するわけにもいかない問題ではあります。なんというか、自分自身の気持ち的に。

というか、こういうことについてだらだらと考えることもまた、僕にとってはやめられない遊びだったりします。これはこれで楽しいので、こんな美味しいおかずを見過ごすわけにはいきません。

なので、どうでもいいと言いながらまだ続ける。

さて、分類、というのは面白いものですね。生物学の分類について色々調べていて知ったのですが、この分類法についても色んな説があるようです。

よく考えたら、そりゃそうですよね。分類っていうのは何かを基準として行う行為なわけですから、そもそもその基準はどうやねん、という意見が出てくるのは、むしろ当然だし健全だと思う。

今回の遊びについていえば、僕は本当はできるだけ自分の主観を排除したいんですよね。その方が、結果的にできたものを見ると面白いと思う。

多分、批評的にも、今何らかの意味がある批評というものがあるとしたら、そういうものだという気がしています。つまり、僕如きの主観に何の意味があるのかと言われたら、そんなものはないし、でも、それは、実は僕だけじゃなくて、たとえ小林秀雄だろうとそうだと思う。

なんか、現在は何らかの作者の主観には意味がない、とは誰も言えないわけだけれど(それを言っちゃうと創作そのものの否定になってしまうので)、一方でそれを受け取る側の主観については、もはや誰も意味があるとは言えないような、そんな時代になってる。

創作者に対して「それ、あなたの主観ですよね?」なんて、わざわざそんなこと言う人はいないのですが、批評する側はその言葉と何らかの形で向き合う必要がある。そんな気がします。

まあ、これからするのは所詮ただの遊びなのですが、それでも何らかの批評性は否応なく帯びてしまうのです。別に批評というのは「さて皆さん、今から私がするのは批評でございますから、ちゃんと真面目に聞いてくださいましね」ってやらなきゃいけないものでもないのですから。

でも、そうすると、そこにこだわると、じゃあもうやめときましょうか、触らぬ神には祟りなしと申しますからね、となる。

なのでまあ、ある程度は仕方ないので、すみませんね、所詮私如きの主観なのですが、ごめんなさいね、と言いながらやるわけですが。

もしも完全に客観的に分類、あるいは分析をしようとするとAIによるテキスト分析とかになるんでしょうか。どの言葉が頻出してるかとか。それはそれで興味あるので、なんか手軽にできるツールとかあったらちょっとやってみたいなあ。

ちなみに、計量テキスト分析ができるフリーソフトで「KH Coder」というのがあるそうです。で、このソフトを使ってヨルシカの歌詞を分析している人がいました。めっちゃ面白い。

そういうのも楽しそうですよねえ。

ああ、でも、そういうことやってると、それはそれで最初の主旨からズレるかもしれないけれど。まあでも、主旨なんてそもそもあってないようなものなんですが。

あと、これも主旨からズレるかもですが、トレーディングカードを作るのも面白いなあと思っています。

こんなの作ってみました。

何故かリンクが貼れないのですが、株式会社オルカさんのサイトhttps://charat.me/orica/から作れます。

攻撃力と防御力も入れられるそうです。いや、入れないですけど。

ということで、もっと色々なんか面白いアイデアないかなーって考え中です。

また明日。

おやすみなさい。

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