詩歌ビオトープ024:斎藤史
詩歌ビオトープ24人目は斎藤史です。
この人は1909年、東京都に生まれました。お父さんが軍人でありながら歌人でもあり、その影響で佐佐木信綱に師事して若い頃から「心の花」の同人だったそうです。その後、前川佐美雄らの新芸術派運動に参加しました。
若い頃はまるで絵本の世界のような幻想的でロマンチックな歌が多かったそうですが、27歳のときに二.二六事件があり、幼馴染だった青年将校の多くが刑死、父親も逮捕されてしまったそうです。その頃から、現実的な、生や死を見据えたような歌も多く詠むようになったのだとか。
さて、今回も小学館の昭和文学全集35に収められている歌を読んでいきます。
本書には、第一歌集の「魚歌」から38首、「うたのゆくへ」から33首、第11回迢空賞を受賞した「ひたくれなゐ」から40首の合計111首が収められていました。
で、僕の分類ではxが5でyが10、音楽的かつロマン主義的な人になりました。
一言でいうなら、幻想的な歌が多い、という印象でした。その意味で、既に取り上げた前川佐美雄や生方たつゑ、葛原妙子らが好きな人は、この人も好きでしょうね。
ただ、同じ幻想でもこの人の場合はちょっと違うというか、前川佐美雄はすごく似てる感じがするのですが、生方たつゑや葛原妙子の幻想とは少し違う気がしました。
何というか、生方たつゑや葛原妙子の幻想は拡張現実なんですよね。現実の世界に幻のフィルターがかかっている感じ。描かれている世界は、あくまでも現実と地続きなんです。でも、この人の場合、描かれている世界が完全に異世界のような、そんな気がしました。
たとえば、この歌。
とか、意味はよく分からないのだけれど、なんかいいよね、という感じ。
ちなみにこれはどちらも第一歌集の「魚歌」に収められている歌です。萩原朔太郎は、この歌集を絶賛したそうです。なんか、分かる気がする。
この歌がすごく印象に残りました。
この人の幻想的な歌というのは、きっとこの歌のいう「風を踏んで」いる歌なのですね。でも、時々やっぱり土という現実を踏むことになる。
ただ、それでもやはり風を「踏ん」でいるのが、この人のすごいところなのだと思います。風に「乗っ」ているわけでも「流され」ているわけでもない。だから、多分、前に挙げた僕にはよく分からない2つの歌も、ちゃんと何かを指しているのです。分かる人には、ちゃんと分かるように。
あと、この歌が好きです。
この歌も具体的な意味のようなものはよく分からないのだけれど、でも、すごく好きです。そういう歌を詠めるのって、やっぱりすごいなあと思います。
ということで、25人目に続く。
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