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詩歌ビオトープ020: 葛原妙子

詩歌ビオトープ20人目は葛原妙子です。

そもそも詩歌ビオトープとは?
詩歌ビオトープは、詩の世界を一つの生態系ととらえ、詩人や歌人、俳人を傾向別に分類して、誰と誰が近い、この人が好きならこの人も好きかもしれないね、みたいなのを見て楽しもう、という企画です。ちなみに、傾向の分類は僕の主観です。あしからず。

この人は1907年に東京都(当時の東京市)で生まれました。でも、幼い頃に父方の伯父の家に育てられたのだとか。

高校卒業後に医師である夫と結婚し、3人の子をもうけます。そのうちの1人はサトクリフの翻訳なんかで有名な猪熊葉子なんですね。びっくり。

短歌を始めたのは32歳のときということなので、早くはないですね。潮音社友となって太田水穂、四賀光子に師事したそうです。

第一歌集『橙黄』を上梓したのはそれから11年後の1950年。それからは数年おきに歌集を出しています。第三歌集である「飛行」あたりから注目され始め、1963年、56歳のときに出した「葡萄木立」が特にその幻想性で高い評価を得たとのことです。

さて、今回も小学館の昭和文学全集35を元に読んでいきます。

本書には「原牛」から31首、「葡萄木立」から37首、「朱霊」から43首の合計111首が収められていました。

で、僕の分類ではxが8でyが9、音楽的かつロマン主義的な人となりました。

さもありなん、という感じがしますね。

僕はこの人の幻想性というのは、2つのベクトルからなっているような気がします。それは、医学とキリスト教です。あるときは医学的、科学的な視点で物事を捉えることによって現実と乖離したような感覚を描いている。

胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき

という歌なんかは、脳髄という言葉の強さを感じます。

また、妊娠中に詠んだ歌も、どこか科学的にお腹の中の子を見ているようなところがある。

ふとおもへば性なき胎児胎内にすずしきまなこみひらきにけり

医学とか科学って、実は現実からどこか遊離しているところがありますよね。なんか、ただ体調悪いというだけよりも、難しそうな病名つけられると、うわ大変なことになったと思うような。それで余計に体調悪くなる、みたいな。

「猫の考えてること」ではなく「猫の脳髄」、「お腹の中の子」ではなく「胎内の胎児」と見ることの奇妙さというか、具体的であるがゆえの非現実さみたいなのが、この人の歌の魅力のような、そんな気がします。

その一方で、この人にはキリスト教をモチーフにした歌も多くあはらます。

かの背中(うしろ)のうつくしきを知るはわれひとりキリストは茫々とものを忘れあゆむ

一見正反対のものに思えるこの両者が彼女の中でひとつになっているのが面白いですよね。それはもしかしたら、「命」「死」というところでつながっているのかもしれない。実際、家族などの身近な死ではなく、もっと抽象的な、概念としての死者のことを考えて詠んだ歌が多いと思いました。

美しき把手(のぶ)ひとつつけよ扉にしづか夜死者のため生者のため

で、なんだかんだで一番印象に残ったのは、この歌です。

天使まざと鳥の羽搏きするなればふと腋臭のごときは漂ふ

天使の腋の臭い……考えたこともなかった。でも、確かに、天使だってもしかしたら、腋の臭いがあるのかもしれない。

ということで、21人目に続く。

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