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峰庭梟
2023年5月30日 22:07
詩歌ビオトープ23人目は窪田章一郎です。この人は、窪田空穂の息子さんですね。1908年に東京で生まれ、父である空穂に師事しました。空穂主宰の短歌雑誌「まひる野」発行の際は発行編集を務め、空穂没後は主宰となりました。この「まひる野」は現在も活発に活動されているようですね。noteもありました。さて、今回も昭和文学全集35に収められた歌を読んでいきます。本書には、「ちまたの響」から57首、
2023年5月29日 15:44
詩歌ビオトープ22人目は渡部直己です。この人は1908年に広島県に生まれました。「アララギ」に入会し、土屋文明に師事。高校教師だった頃に日中戦争が始まり、招集されました。この頃に詠んだ戦争詠が高く評価されているとのことで、昭和文学全集35にも53首の歌が収録されていました。全体的には写実的な歌が多く、僕の分類ではxが20、yが11の「絵画的かつ自然主義的」な人となりました。ただ、W
2023年5月28日 19:35
詩歌ビオトープ21人目は小暮政次です。この人は1908年、東京都生まれの人です。「アララギ」の同人となって土屋文明に師事、「アララギ」解体後はアララギ系の歌風を引き継ぐ結社「短歌21世紀」をつくりました。「短歌21世紀」は今も活発に活動している団体なんですね。さて、今回も小学館の昭和文学全集35に収められている歌を読んでいきます。本書には「新しき丘」から30首、「春望」から35首、「薄
2023年5月24日 16:15
詩歌ビオトープ20人目は葛原妙子です。この人は1907年に東京都(当時の東京市)で生まれました。でも、幼い頃に父方の伯父の家に育てられたのだとか。高校卒業後に医師である夫と結婚し、3人の子をもうけます。そのうちの1人はサトクリフの翻訳なんかで有名な猪熊葉子なんですね。びっくり。短歌を始めたのは32歳のときということなので、早くはないですね。潮音社友となって太田水穂、四賀光子に師事したそ
2023年5月22日 21:27
詩歌ビオトープ19人目は坪野哲久です。この人は1906年に石川県で生まれました。大学に行くために上京、大学生のときにアララギに入会して島木赤彦に師事しました。でも、すぐに島木赤彦が亡くなってしまうのですね。その後は新興短歌連盟に参加、大学卒業後は東京ガスに入社します。で、労働組合運動に参加しながらプロレタリア短歌を推進していきました。この頃は、自由律短歌をしていたそうです。でも、労働組合運
2023年5月5日 18:34
詩歌ビオトープ18人目です。今回は木俣修を取り上げます。この人は1806年に滋賀県で生まれました。幼少期から「赤い鳥」や「金の船」などに詩や絵を投稿していたそうです。1927年、東京師範学校入学とともに上京し、憧れだった北原白秋に弟子入りします。しかし、その頃白秋は自身の雑誌を持っていなかったので、白秋系である村野次郎主宰の「香蘭」に参加したり、前田夕暮の「詩歌」に籍を置いたりしたそうです
2023年5月4日 23:55
詩歌ビオトープ17人目は生方たつゑです。いやー、やっと女の人が来ましたね。この人は1905年に三重県で生まれました。日本女子大学を卒業後、結婚して群馬県に移り住みます。その頃「アララギ」で活動していた今井邦子に師事します。そうして30歳のときに処女歌集「山花集」を上梓しました。てことは、最初は「アララギ」の人だったんですかね。どうなんだろう。戦後は窪田空穂がつくった「国民文学」に入会し
2023年5月3日 23:04
詩歌ビオトープ16人目は柴生田稔です。この人は1904年に三重県で生まれました。東京帝国大学在学中に「アララギ」に入会、斎藤茂吉に師事しました。しかし、実は古典和歌については茂吉よりもこの人の方が遥かに博学で、茂吉の古典和歌研究をかなり支えたそうです。大学卒業後は明治大学の教授となり、1975年の定年まで勤めて名誉教授となりました。最初の歌集は1941年、37歳のときに出した「春山」で