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Vol.017 【ちょっと寄り道】なぜ良い写真が撮れないのか?〜マインド編〜

今回は、順当なら前回に引き続き構図の話をするつもりでしたが、このタイミングで話したいこともあったので、「なぜ良い写真が撮れないのか?」ということを、マインドと撮り方、2つの側面から考えていきたいと思います。今回はまずマインドのお話。
(TOPバナーの写真、トルコのカッパドキアで撮りました。懐かしい〜。)

 なぜ、うまく撮れないんだろう?

近頃、こんな質問をよくされます。

「撮影をしたのだけれど、うまくいかなかった。
チェックして、どこが悪いのか教えてほしい。」

相談をくれる相手は、同業のカメラマンではありません。
企業で、人事や総務、広報として働いている人たちです。
相談された例をあげると、社内イベントを記録用として撮影した際に、あとから社内で

  • 「皆の表情が硬い。」

  • 「全体的に寂しく感じる。」

  • 「被写体とカメラマンの間に距離感がある。遠慮して撮影している感じが伝わってしまう。」

といった意見が帰ってきたそうです。
あまり芳しくない評価ですね。撮影した当人は、そこまでカメラに詳しくはないけど、1眼レフで撮ったようです。
撮った写真を見たり、本人の反省点などを聞いて見て、僕としては技術的にどうこうといったことよりも、そもそもの心構えとして足りなかった部分があるのでは?と思いました。さて、一体何が足りなかったのでしょうか?


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「つまんない」って言われると、こんなふうに心が折れますよね。カメラマンとして一番言われたくない言葉です。

「当事者」であれ

撮影する人間のマインドとしてまず意識するべきは

自分は「当事者」か「傍観者」か?

ということです。
傍観者に徹するという撮影も、当然あります。たとえば定点観測、各種発表会、一般的な報道写真などです。これらは、客観性が求められる事と、なるべくカメラの気配や、撮るものの主観性を排することが重要なので、傍観者目線〜少し遠巻きなポジション〜で粛々と撮影をすることが求められます。
傍観者目線ですと、例えばアップで撮りたい場合には、近づかずにその場で望遠レンズを使うことになります。それに反して、例えば野球の試合中にアップの写真を撮影したいと、バッターのすぐ近くに寄って撮影しようものなら、すぐにつまみ出されます。(笑)
このように、傍観者の撮影ではいかに「カメラマンの気配」を消すかが重要になります。

スナップ写真では、あえて傍観者目線で撮ることもあります。これはリバプールのホテルでこっそりと撮影しました。(笑)


ですが、傍観者であるシチュエーションはさほど多くありません。社内のイベント撮影などでは、撮影者の気配を消さなくてはいけないなんてことはあまりないはずです。(株主総会など、真面目な場面では配慮が必要なのかもしれませんが。)
もっと、グッと寄ってもいいし、声がけしてもいい。可能であれば、撮影タイムを設けて言葉は悪いけど「ヤラセ」の状況で撮ってもいい。

たとえばいい表情を撮るために
たとえば映っていない人がいなくなるように
たとえば顔が暗いなどないように

そういった「失敗しないための工夫」を、社内の気の知れた人たち同士ならできるはずです。
つまり、「ただ撮るだけの傍観者」から「一緒に場を作り出す当事者」へのマインドチェンジが必要です。

集合写真を思い出してください。皆が当事者として頑張りましたよね?そうすると、皆が自然といい表情になります。

当事者になりたければ、勇気を出して寄ってみよう!

当事者になるために手っ取り早いのは、被写体に勇気を出して近づくことです。そうすれば、相手も撮られていることを認識するので、こちらも否応なしに当事者となります。
ただ、前にも書きましたがあまり知らない人が多い状況でいきなりズカズカと近づくのも逆効果になる場合があります。頃合いを見計らってちょっとづつ近づいて見ましょう。
(十分に知った仲であれば、そういった段取りは飛ばしてもいいでしょう。)

近づいたら、いい写真が撮れるのか?それは、実際のところ撮ってみないとわかりません。近づいても、ダメかもしれません。離れたところから、いつか来るチャンスをずっと待つことがいい時もあります。
でも、「いい表情」「いい場の空気感」は、やはり近づいて当事者として撮影した方がよりたくさん触れられるのだろうなと、僕は今までの経験から感じます。なので、ズームレンズで寄るのではなく、ちょっとだけ勇気を出して立ち位置を一歩前に踏み出してみましょう。
実際に立ち位置が前に出る以上に、一歩を踏み出すということは「心の距離」を一歩前進させるということに繋がります。
可能なら、標準の単焦点レンズを使うのもいいでしょう。そうすると、アップに撮りたいなら必然的に前に出ざるを得ません。

僕は逆に、危ないところでもガンガン近づいて「危ない!」とよく怒られたりします。カメラマンの性(さが)というやつですね。

「当事者意識を持つ」ということ

今までの講座では、画角がどうだ・遠近感やボケ具合・構図はどうだと、色々とお話してきました。ですが、カメラを始めたばかりの人が一番意識するべきは、「当事者意識」を持って撮影をするということです。
「当事者意識」という言葉は、人材育成やコンサルティングの世界でよく使われる言葉です。ですが、写真の世界にも当てはまる言葉だなと僕は思います。これを意識するだけで、撮る写真はガラッと変わります。

(美味しそうな料理が出てきたな、写真に撮ろう!)
その場合、わざわざ席から離れて撮りますか?
美味しそうな匂いが漂うくらい、ぐっと近づくはずです。
道を歩いていると、かわいいワンちゃんや猫ちゃんがいました。その場合も、最初は遠巻きに撮影しますが、きっとその距離を近づけてもっと大きくいい表情が撮れるように努力するはずです。
そう、それこそが撮影における「当事者意識」です。
「とりあえず撮っとけ」ではなく「より良く撮りたい!」と思うこと。
それこそが、「当事者意識」を持って撮影するための秘訣です。
簡単なことですよね?でも、これが難しいのです。

例えば、子供笑顔を撮りたい、無邪気さを写したいと思うなら、撮る人自身が子供の目線になって、さらには子供のように振る舞うことで、写すことができるのだと思います。
スタジオアリスのカメラマンが、仏頂面でビジネス口調で子供に接するでしょうか?当然、当事者意識を持って笑顔で、子供にわかるような言葉でワイワイ楽しく撮影するはずです。
逆に、社長のポートレートを撮るときに、片手にアンパンマンのぬいぐるみをはめて撮るでしょうか?おそらく、首絞められるかもしれません。(笑)

その場に応じたアプローチをすることが求められます。じゃあどうすればいいのか?それを考えることからもう「当事者意識」は生まれます。
そして、撮るものと撮られるものが一緒になって撮ることができるのなら、それはつまらないわけがありません。

どんな人でも、きちんと向き合えばきっと答えてくれると思います。それはテクニックうんぬんではなく、向き合い方の問題です。

「梅佳代」という写真家を知っていますか?

僕の好きな写真家に、梅佳代さんがいます。ご存知ですか?

彼女は、当然技術的に優れた写真家なのですが(写真の専門学校できちんとした勉強をされています)世に出たての頃は、レンズは標準レンズがほぼほぼで、露出はプログラムオートで撮影をしていました。
テクニカルなことよりも、一貫して「当事者としての目線」「被写体への愛情」に重きをおいた撮影をしています。それが見る人の心を打ち、高い評価を受けました。
そこには、ただ撮っただけの写真はないように思います。
彼女が傍観者の立ち振る舞いで撮影をしていたら、こんな笑顔の写真は撮れなかったんだろうなと思います。

「あえて怒らせる」なんてスゴ技もあります

下の写真、見たことはあるでしょうか?

https://karsh.org/より引用

第二次世界大戦中のイギリスの首相である、ウィンストン・チャーチルです。有名な人物なので、どんな人かは割愛します。
これを撮影したのがユサフ・カーシュ(Yousuf Karsh)です。この人も超有名な写真家です。カーシュを知らないカメラマンはカメラマンじゃありません!(笑)

この写真、チャーチルはムスッとしていますよね?
これは、撮影の前にチャーチルは葉巻を口に咥えていたのですが
(チャーチルは写真を撮らせるときは、いつも葉巻を咥えていました)
カーシュは、わざとチャーチルから撮影する寸前にを口からもぎ取ったのです。いきなりそんなことをされて、チャーチルは当然おかんむりです。
その瞬間を、カーシュは捉えました。

彼のパーソナリティーを最大限に写したい、その威厳に満ちてちょっとふてぶてしい表情を捉えるため、カーシュはあえてこの行動をしました。
これこそ「当事者意識」です。
まあ、これはかなり難易度高いし僕も実践したことはありません。(笑)
ですが、このエピソードは僕の心に深く染み付いていますし、人を撮るときには思い出したりします。

でも、もっと簡単に考えてもいい!

今回はかなり、心構えの部分を観念的に書きました。じゃあどうしろというの??と思うかも知れません。
じゃあ、こういうのはどうでしょうか?

撮る前に、「撮りますよ!」「撮らせてくださ〜い!」と声がけをする。

これくらいならできそうな気がしませんか?
こっそり撮るより、明らかにそこには「当事者としての自分」がいるはずです。見ず知らずの人に声がけは、僕でもちょっと躊躇します。でも、社内の知っている人なら、できますよね?
まずはそこから始めて見ましょう。仕事上の撮影でなくても、ブレイク中にちょっと1枚声がけして撮ってみる。
その積み重ねが、きっと今までの「撮らされている自分」からの脱却につながると思います。

次回は、「こういうカットを押さえてみよう」という実践編です。
乞うご期待!



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