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令和のゲイの恋愛観

飲み屋で聞く色恋の話、近しい人たちの相談、SNSを見ていて、刹那的に生きる彼ら(僕ら)の恋愛観がなんとなく”今っぽく”ないなと常々思っている。

すぐ付き合っては別れ、セックスを大いに楽しみ、でもどこか不安で安心を求めてる。白馬の王子様が自分を見つけてくれて人生を変えてくれることをどこかで望んでいたりする。

その刹那的な恋愛観は、「男だから」だろうとずっと思っていた。責任を取りたくない性、大人になるタイミングを逃してしまう性。なんとなくそう思っていたし、そんな恋愛観を首を傾げてずっと見ていた。

そんなこと言ってるお前は品行方正、大人の恋愛をしているのか?とか聞かれれば、そんなことは全くないです。ワンナイトに興じて浮気もしたことあります、二番手に甘んじていたことだってあります、白馬の王子様に今のどん底から救って欲しいと他人任せに思っていたことだってもちろんあります。

仲のいいゲイバーのママと、大学時代の親友三人で飲んでいた時のことだ。ノンケの親友に正味な話ゲイの恋愛ってどんな感じ?といったことを聞かれて、少し考えた。

「例えばさ、恋愛にも2パターンあるじゃん?性欲で好き、と、人として好き、と。まずそこが曖昧な人が多いかな?これはノンケの男の子と一緒だと思う。ただ、出会いがやっぱり不自然かな。セックスまでの距離が短い分、恋愛に発展するのは難しいのかも。アプリで相手見つけて、顔がよければまずセックスだし。中身を知って幻滅みたいなことはよくある。あとわかりやすいゴール(結婚とか)がない関係だから、遊びなのか、落ち着いた関係を求めているのか分からなかったりするかも。将来への選択肢がない分、自分の身の振り方も決めづらいよね。」

かつて、ゲイ雑誌には文通欄というコーナーがあった。知らない人と文通を重ねていざデート。この辺の時代を体感していないけれど、「お見合い」に通ずるところがあったんじゃないだろうか。もしくはゲイバーで出会うという、まあこれは今も変わらないのだけれど、お酒が飲めない人、顔がバレたくない人には不向きだ。その後、インターネットの発達で、出会い掲示板ができ、SNSにアプリと出会いの幅は広がった。

アプリにズラっと並ぶ男たちの顔を見たとき、出会いは無限にあるように感じる。でもその中から彼氏もとい、パートナーを探すのは至難のわざだ。妥協すればいい?理想が高い?その言葉がこれまでどれだけのノンケたちを苦しめてきたか、忘れてしまったのか?

昔に比べて、今のゲイは相手を自分の意思で選べるようになった、とは思う。だけど、そこから先に進めてない。本当に欲しいのは絆みたいな何かなんじゃないだろうか?

ゲイの友人と恋バナ(死語)をしていると、必ず自虐し始める奴がいる。Twitterを見ていても、同じだ。なんだろうこの既視感、と考えてみたら、あれだ、15年ほど前に流行った、女性の恋愛自虐だ。『負け犬の遠吠え』なんて今の時代だったら完璧アウトな本が流行ったりした。”おひとりさま”なんて言葉も流行ってたなあ…

令和のゲイの恋愛観が15年遅れなのだ。なのに、理想だけがどんどん先に進んでいたりする。自己肯定感大事にしていこ!人それぞれに合った無理のない生き方!ダイバーシティ!!いや、そんな情報量バグるって。こじらせるに決まってるだろ。

もちろん、この価値観にきちんとアップデートできてる人もいるから、ゲイ全員が!なんて話をしたいわけじゃない。だけど、セクシュアリティが同じというだけで簡単に恋愛できるなんて勘違いを、どんな人にもして欲しくはないなと思う。自由恋愛、という言葉が本当の意味を発揮するのはいつになるのか。ここまで考え詰めてみると、セックスはつくづくオマケなのかもとまで思ったりするから、不思議だ。

ちなみに、この話をしていた、ゲイバーのママはプリンセスを助ける王子様になりたいタイプ。自分は背中を任せられる相棒みたいな人が理想なタイプ。ノンケの親友は自分の人生変えられちゃうような破天荒な(涼宮ハルヒみたいな)女の子を求めているタイプ。

男の恋愛観って、思っている以上に根深いかも、と思った夜だった。



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