ラブレター part1

小学校1年生から現在に至るまで、僕と彼女は唯一無二の親友だ。22年間、彼女は僕にとってかけがえのない存在である。楽しい思い出がほとんどだが、もちろん喧嘩もしたし、口もきかなかった時期だってある。でも互いに求めあってしまう。おそらく愛という気持ちを教えてくれたのは、人生において彼女だろう。

僕たちの関係を、人はみんな不思議がる。なぜ付き合わないの?一度も好きになったことはない?と。

答えはイエスでノーだ。おそらく僕たちは本当の意味でソウルメイトだ。魂のレベルで繋がっている。そしてほんとに不思議なことに、僕たち二人の共通認識として、100%の男女の友情はあり得ないと思っていることだ。99%純粋な友情でも1%の未来に何かあるかもしれない、と二人ともずっと思っていた。

酔ってキスをしたことはあるが、性的なものではなかったし、彼女を抱けと言われれば多分普通にセックスもできるだろう。

だけどしなかった。だって彼女のことをずっと愛していたから。姉のように頼り、妹のように守り、戦友のように助け合ってきた。

冬の始まりに、彼女と浅草でお酒を飲んでいた時のことだ。机と椅子が並べられた、ビニールのカーテンで仕切られた軒先で夕方くらいからダラダラと他愛もないことを話していた。瞬間、石油ストーブと乾いた空気が混ざった香りが漂ってきて、彼女と目を合わせて微笑み合った。

「「冬が始まったね」」

と、僕たちはクスクスと笑った。もしこれが出会って間もない二人だったら、恋に落ちていた瞬間だろう。だけど僕たちは目先の寂しさや、ひと時の気の迷いで恋愛という手段を二人の関係に持ち込まなかった。それはおそらく無意識で、これから先もずっとずっと一緒にいたいと思っていたからだと思う。

結果、僕はゲイとして今生きているし、彼女も一つ下の彼氏とうまくいっている。僕たちはお互いの人生を尊重しながら生きてくことに決めたのだ。優先順位でお互いを一番にするのではなく、自分のものさしで幸せを決めようと。

僕があまり恋愛体質ではない一因として、彼女の存在がかなり大きい。いや、大きかった。正直彼女の人生が、年下の彼とうまくいっていることで大きく変わっていったことに、僕はうまく順応できなかった。簡単に言えばヤキモチなのだけど、そんな簡単な感情ではなく、魂がちぎられるみたいな寂しさがあった。もうあなたの人生に僕は必要ないの?という虚無感。

今はかなり落ち着いているし、彼女の彼氏のことも大好きなので、そんなバカげたことは思わなくなったが、彼女からの自立は僕にとって大きなターニングポイントだった。

だって、愛する対象を愛してはいけないのだから。

ただ、これも間違いで、別に遠くから祈っていればいいのだ。会えなくなったとしても、彼女のことをずっとずーっと大切に思い続けて、それを押し付けないことが愛なのだ。たぶん、これがいわゆる愛とかいうやつで、人を愛するってなんて身勝手で、苦しくて、でもそんなワガママな気持ちを押さえ込んでしまうくらい、相手のことを愛しく思い、ただ純粋に笑わせたくて、幸せそうな顔を見たいと願うことなんだろうと最近つくづく思う。

頻繁に会えなくなった分、僕は彼女が楽しんでくれることに全力を注ぐようになった。こうやって離れてみると、好きな人に対する接し方みたいになってしまうのが可笑しいなと自分でも笑ってしまう。

無限だと思っていた時間が有限だと気付いた時、人は人に優しくなれる。今この時を精一杯楽しもう、愛を伝えようと努力する。

これからもきっと僕は彼女の人生に関わることをやめないだろう。拒絶されたとしても、遠くから愛を送るだろう。幸せを祈るだろう。

こんな気持ちを教えてくれた彼女を、僕は生涯裏切らないだろうし、感謝をやめることはないと思う。

彼女はこのnoteを絶対に読まないから、こんなラブレターを書ける。こういうの嫌がるの知っているから。

ただ、どちらかが死ぬまでに、今までテレパシーでどうにかしてきちゃった何かを、ちゃんと言葉にして共有できたらいいなあと思っている。



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