男が好きで、男が嫌いで。 #6ーあなたになりたかったー
ー175/63/19 タクミ
エロくイチャイチャできる人募集してます。年上のお兄さんからのエロいメール待ってます! 画像交換できます。足、場所なしです。
こういう投稿文を出会い掲示板によく書き込んでいた。出会い掲示板ではよく見かけた、誰もが書いてる定型文だったと思う。
体も細く、髪も長かった。この頃は女の子と付き合っていたし、恋愛においてのターゲットはあくまで「異性」であったので、美醜の基準はそこに合わせていた。加えて周りにゲイの知り合いもいなかったから、短髪で逞しいのがメジャーなこともよくわかっていなかった。
でも、なんとなくモテないことくらいはわかっていたので、他との差別化を図るためにこういった掲示板に投稿していた文言加えられていたのは「変態」とか「フェチ」とか性癖に柔軟に対応できるというアピールをするくらい他なかった。(実際、性にはアクティブなので嫌々ということもなかったし)
ー僕の名前は「リョウ」です。
僕の名前は「リョウ」だ。リョウタでもリョウスケでもなくただの「リョウ」。
こうやってカタカナで書けばそれこそ嘘っぽい名前だなと思う。しかし19歳のリョウくんは身バレを恐れていた。東京という街に暮らしているにも関わらず、このことはバレてはいけない! と、自分という痕跡を消そうと必死だった。待ち合わせた相手が地元の人間でした! なんてご法度だったし、ヤッた相手と町ですれ違うなんてあってはならなかった。
そこで、僕は別人になりきっていた。僕は自分のことを「タクミ」もしくは「ケイスケ」と名乗っていた。2人とも実在する同い年だ。
「タクミ」くんは、幼なじみの高校の同級生で、自分の同級生というわけではなかったが、マイルドヤンキー極まれりな幼なじみから彼を紹介され、地元が近いこともありそこの高校の仲良しグループの集まりによく呼び出された。
死語を使って説明しよう。彼はいわゆる“ギャル男”で、浅黒い肌に長い髪をツンツンと“盛り”、襟足を外側に遊ばせていた。身長は180ちょっと。スリムだが筋肉質で、小栗旬くんの顔の真ん中を少し押し込んだ感じのチャラい顔立ち。
サッカー部かなんかだったかな。同じ学校ではないのでよく覚えていないが、まあとにかくコイツが男子ノリ全開。すぐ脱ぐし、すぐ熱くなる。
そしてどうしようもなくスケベで、女に一途だった。
ギャル/ギャル男の定番だ。予定調和の中の意外性、ギャップ萌えの極地。ちょっと悪そうな友達が周りにいたりなんかして。苦手だった〜、こいつ。
話は合わないし、ノリで全部どうにかしようとしてくるし、でも女にはモテてるし。当時のTVドラマ(『ごくせん』や『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』)にそのまま出てきそうなおちゃらけた感じも全部居心地が悪かった。
何がそんなに居心地が悪かったのだろうか。
例えば彼のやることなすこと自分が真似してみるとしよう。そういうの全部、自分がやるとサマにならないのだ。「俺に彼女ができたら、その彼女に渡す!」と言って、肌身離さずつけていた小指のピンキーリングも、彼がしてると周りの女の子たちは、素敵! と口を揃えて言い、自分がやると、え? オシャレでつけてたんじゃないの? と拍子抜けされる。
無い物ねだりだったのはわかっているが、自分の非モテ陰キャの部分をめちゃくちゃ刺激してくる男だった。
とにかく僕は、「タクミ」くんを同じ男として半分小バカにしながら、メラメラと嫉妬していた。
ー親友になりたかった男
かたや同じ高校の同級生に「ケイスケ」という男がいた。
大きい目、でかい口、うっすらと茶色い癖のある地毛を、当時はまだ全然メジャーじゃなかったツーブロックなんかにして頭髪検査を掻い潜る鮮やかさ。そして底抜けに素直で快活だった。
自分が言ったこと一つ一つに感動してくれて、感心してくれる。彼とはすぐに意気投合した。
が、こいつがまた曲者で、のらりくらりと自分の核には触れさせない何かがあった。歳の離れた姉のこと、父親の話を一切出さないこと、そしてこれ以上は聞いてくるなよ? とゲラゲラと笑ってるのに、こちらを制してくるそこはかとない圧。
ただただ素直で世間知らずな男だったらつまらなかっただろう。しかし実態が全て掴めない彼に、僕はどんどん魅了された。彼の使っていたダウニーの柔軟剤(ダウニーを知ったのも彼がきっかけだった)の匂いだけで、当時の僕は強烈に彼を思い出すほどだった。
彼になりたかった。いつもは劣等生ヅラをしている癖に、ちょっと本気で勉強すればすぐに成績がよくなっちゃう地頭の良さ、もう一度言いたくなるほどの素直さや、どことなく華やかでヒップなオーラ。とにかく、ものごとのコツを掴む力が抜群だった。
今こうやって書き連ねてみると、厨二の自分を刺激するのかと思った。ひょうひょうとしていて、本気出してないけどやればすげぇんだぞっていうあの佇まいに憧れていたのか。なるほどね。
とにかく、彼にはなれないと悟った僕は、代わりに彼の親友になってやろうと躍起になった。親友になれば一生彼の人生に関われると当時は本気で思っていたし、結果的にその座を勝ち取った。
ー他の誰かになりきるセックス
出会い掲示板に話を戻そう。僕はこの2人の名前をよく使っていた。女の子では埋められない欲求を満たすために掲示板に書き込んでいたあの頃。
「イチャイチャできる人募集」というのも、がっつりセックスに踏み込めない当時の煮え切らなさが伝わってくる。
掲示板に投稿する瞬間、ものすごい罪悪感を覚えていた。自分じゃない誰かの名前で、男とイチャイチャしようとしてるなんて。しかし、他の誰かの名前を名乗るだけで、こんなに簡単に受け入れたくない自分の側面を謳歌できるのだから不思議だ。
どうして、この2人の名前を使っていたんだろう。半分小バカにしながらもオスとして自分よりも優れていると思い嫉妬に狂っていた男と、柔軟剤の匂いだけで鮮烈に思い出してしまう男の名前を。
どちらにも自分はなれないから、なりたくて仕方なかったんだと思う。「リョウ」というモテない自分が嫌いで嫌いで、そういうときに逆立ちしてもなることはできない「タクミ」や「ケイスケ」になっていたんだろう。
色恋沙汰に自信のなかった「リョウ」くんのままじゃできなかったことも、かっこいいと心のどこかで憧れていた男たちをペルソナにして、男とセックスしていたんだと思う。
ー「性欲=恋」という刷り込み
憧れていたのは確かだった、と当時からうっすら思っていた。だけど今なら、あの時の気持ちをもっとはっきりとした言葉にすることができる。
あれは確実に恋だった。あんな気持ち、恋以外のなにものでもなかった。
ノンケに恋をしたことがないと常々言っているが、当時これらの気持ちに性欲が伴っていなかっただけで、あの焦燥感、あんなに自分の頭を占めていた存在の大きさ、媚びてみたり嫉妬したり、とにかく自分の気持ちがどうしようもなく波立ってしまうあの感情を恋と言わずになんと言えばいいんだろうか。
「性欲=恋」だという刷り込みが、これは恋じゃない何かだと思い込ませていた。触れたいとかキスしたいとか、セックスしたいとか。でもそれだけが恋じゃないことくらい三十路を越えた今ならわかる。
恋心にはいろんなものがあるのだ。好きも嫌いも、性欲も友情も、憧れも嫉妬も劣等感も、恋にかわりはないんだろう。思春期のあの頃は特に。
何にせよ、自分の気持ちに波紋が広がってしまう。そういう状態のことを恋と呼ぶんだと私は思う。
あいつらみたいになりたかったなぁ、こういう人になりたいなぁって。憧れみたいな嫉妬みたいな気持ち、今だっていくらでも湧いて出てくる。
でも、最近悟った。自分は自分にしかなれないから、自分を極めていくしかないのかも、と。
それってめちゃくちゃ修羅の道じゃない? 誰かの真似して誰かになっちゃったほうが楽じゃない? でも自分以外の誰かになりきって生きていくより、自分で自分を知っていくことの方が刺激に満ちていると心から思う。
うわ。自分を愛せない人は他の誰をも愛せない、みたいなオチにしちゃった。このnoteを書き終えた今、こんなん言ってやったぞ! と、ドヤ顔なんてしていないということだけお伝えしておきたい。
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