自分探しを終えられない女がnoteをはじめてみる
noteという媒体には以前から興味があった。
クリエイターを支援するというコンセプトも素敵だなと思うし、色々な人のnoteを読んでは「なんかオシャレ」だなと感じていた。
それでも、ユーザー登録にはためらいがあった。
なぜかというと、何を書いたらいいのか分からないから。
というか私には、ずっとこれをやってきました!とか、これをとにかく極めたい!とか、これを発信して影響を与えたい!ということが無いのだ。
5年ほど、それを探し求めて紆余曲折。
これかな?ということは少しずつ見えてきた気がしているけれど、未だにそれは確信を持って言えるほどのレベルには至っていない。
いつも行きつ戻りつ、これでいいのかな?と不安を抱えてさまよっている。
つまり、私は「自分探しを終えられない女」なのだ。
(自分で書いててめちゃめちゃ鼻につくし格好悪くて嫌なのだけど、事実だから仕方ない)
25歳の頃だろうか。
私は、自分が「何をして生きていきたいのかよく分かっていなかった」のだということに気が付いた。
気づく前の私は・・・
高校受験の時は、なんとなく自分の能力に見合った総合学科高校を選んだ。
就職も、ゴリゴリと自分の存在意義を削り出すような、いわゆる就活と呼ばれるものは経験しなかった。
学校斡旋や、生活のためのその場しのぎの就職。
自分が望んだつもりの、その実、エセ自己実現みたいな(人の役に立ちたいとかそういう)就職もしたことがある。
22歳のときに、
・待遇がそこそこ良く
(残業禁止/パートなのに給与保証アリ/産休育休生理休暇制度も完備)
・人間関係も円滑で
(女5人のチームだが感情的なもつれは驚くほどない)
・業務内容もさほど重くない
(ルーチンワークのデータ登録業務が主/至極つまらないけど楽)
という、
”素晴らしいぬるま湯”のような職場に、奇跡的なタイミングで出会うことができ、以来8年そこに籍を置いている。
しかしいつからか、そのぬるま湯で茹でられていることにしんどさを覚えるようになってきた。
それが25歳の頃である。
現状を望んでいないことに気付いてしまった
ある朝、会社へ向かう通勤バスに揺られながら、
「あー……このままずっとこういう暮らしを毎日繰り返すのかな……え?あれ?それって絶望じゃね?」
と思っていることにふと気付いてしまった。
自分が何をして生きていきたいのか、そのモチベーションを掴んで自分の人生を生きていないことに、私は気付いてしまったのだった。
自分探しの旅
そこから始まったのは私の「自分探し」である。
主には副業を始めたいと(お金も欲しかったし)「やりたいかも」と思えることを考えては、色々なものに手を出してみた。
アフィリエイトとか、タロット占い師になってみようとか。
個人的にすごく悩んでいたのもあってパートナーシップも学んだし、ビジネスのための講座にいってみたり、起業塾とかの説明会に参加したり。
子どもの頃に小説家になるのが夢だったことを思い出して、物語を書いてみようともしてみた。
その中に、”ただ続けるためのブログを書く”っていうのもあったけれど、なぜか(とその頃は思っていた)続けられなかった。
どうして続かないんだろう?
今考えてみると、どうも自分でガチガチに枠を作ってしまって、そこにそぐわないといけない、という思い込みがあったのだと思う。
ブログのジャンルを決めたり、更新頻度を決めたり。
それに私はちょっとカッコつけなところもあって、読者のためになるような、きちんと伝わるいい感じの文章を書こうとしたりもしてた。
もちろん、たくさんの読者に影響を与えようと思ったら、そういうことはとても大事なことだと思う。
でも、却ってそれで自分でプレッシャーをかけて嫌になってしまっていたようだった。
つまり、あまりブログという場では「そのまま自分自身」でいられなくて、しんどかった。
それから、自分のことが良く分かっていないくせに「私の伝えたいことってなんだろう?」と考えて始めてしまって、
堂々巡りに陥ってしまったというのもある。(そりゃあ続かないよね……)
続けられているものは?
そんな、ブログを続けられない私が「コレはまあまあ続けられているわー」と感じているのがtwitter。
ツイ廃というほどではないけれど、ぽつぽつと続けられているのは、きっとそこで私は自分でも理解しきれていない、
「自分探しを終えられない自分自身」でいられているのだろうと思う。
じゃあnoteでは?
そんな私がnoteをやってみたらどうなるのか。
興味を持った初めのうちは「どうせまた続かない」「また続かなかった、とがっかりするのは嫌だから」と自分に言い訳していた。
ブログに近い形式で、「自分探しを終えられない自分自身」でいられるだろうかと、不安だった。
でも、今日、あるきっかけがあって、ふとそれを確かめてみたくなって、noteを始めてみた。
すぐ辞めちゃうかもしれない、でも始めてみないことには、わからない。
終わりに
もし私がここで自己表現を続けることができたら、noteを差し出して「これが私です」と言えるようになるのかも知れない。
「自分探しを終えられない女」が、noteで自分を見つけ出せるのかどうか。試してみよう。
読んでくださる方にはぬるく、このnoteを見守っていただけたらと思う。
そして、願わくば同じようなことで悩む方が「自分のことが良く分かっていなくても、別にそれでいいんだな」と自分のことを受容できるような、そんな場になったら、嬉しい。
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