格闘技のファン層について考えてみた

最近ふと頭に浮かんだのが格闘技界には最強のファイターと最高のファイターがいるということです。

最強のファイターとはその言葉の通り最も強いファイターつまりチャンピオンのことです。

最高のファイターとは各個人が一番好きな、思い入れのあるファイターのことを指します。

性別で区別することは良くないかもしれませんが、傾向として男が最強、女が最高に偏るイメージがあります。

最高に偏る最もわかり易い例として2000年代のDREAMを除くTBS格闘技が挙げられます。

当時TBSで放送されていた格闘技イベントはフジテレビのイベントに比べて黄色い歓声が多く、その中心選手はいずれも顔の整った日本人だと言う特徴があります。

その象徴が魔裟斗でしょう。

魔裟斗はMAXで2度王者になっているので最強にもなっているファイターですが、彼が出場した7度のトーナメントで優勝したのは2回です。

これはブアカーオやサワー、魔裟斗と直接戦うことはなかったペトロシアンと並ぶ優勝回数で彼だけが突出した実力があったわけではないです。

しかし、MAXは魔裟斗ありきのイベントでした。

魔裟斗がチャンピオンでなくてもメインは決まって彼だったし、ポスター、番組その中心には必ず魔裟斗がいました。

もちろんそれだけ彼が人気があったということだし、日本人だから外国人より贔屓目に見る気持ちはわからなくもないです。

ただ、魔裟斗のことを当時好きだった人がなぜ好きかと聞かれれば顔が好みという人が多いのではないかと思います。

もちろん顔が好みと答える人の大半は格闘技自体は詳しくないし、そんなに興味もないでしょう。

以前、魔裟斗が現役のときの試合をいい席で見たことがあるという風俗嬢と話をしたことがありますが、その娘から格闘技の話が出たのはそれが最初で最後でした。

魔裟斗のボクシング技術は他のK-1ファイターと比べてもレベルが違うとか彼は対戦相手の研究を熱心に行う戦術家だとかそういったたぐいの話は一切ありませんでした。

魔裟斗がかっこよかった、だから見に行ったというのが唯一にして最大の理由のようです。

昨年のラグビーワールドカップの際に、にわかファンというネット上でしか見かけなかったような言葉を色んな所で聞きました。

その時は、にわかファンでも暖かく迎えるべきという風潮でしたし、格闘技に置いてもよく知らない人でも迎え入れるべきという風潮が強いです。

個人的にはそれは否定しませんが、競技として見られない人を無理に取り込むのはあまり良くないと思っています。

というのもMAXに話を戻すと象徴である魔裟斗が引退して当時魔裟斗に黄色い声援を送っていたファンは一斉に身を引きました。

魔裟斗が現役のときでさえ、魔裟斗がいないと世界最強を決めるMAXにとって最も大事なはずのトーナメント決勝もお通夜のようでした。

これはJZカルバンが無双していたときのHEROSも同様です。

競技として興味を持った上で最高のファイターを見つけて熱狂するのは業界にとっても良いことだと思います。

例えばPRIDEの全盛期、ミルコに感情移入するファンは多かったと思いますが、それでもPRIDEファンのヒョードルへの尊敬が揺らぐことはなかったと思います。

だからこそ2007年のやれんのかでヒョードルが参戦した時あれだけ感動的なものになったのではないかと思います。

その文化というか遺伝子は今のRIZINにも受け継がれており、初来日時はほとんどの人が知らなかったであろう外国人であっても実力を示せば愛着と尊敬を持たれています。

また、外国人のみならず堀口や浜崎といった男女の日本を代表するファイターが今最もファンの心を掴んでいるように思えます。

特に女子は発足時は完全にRENA推しのK-1MAXコースだったのが2017年大晦日あたりから実力主義のPRIDE路線に変わってきたなと感じるし、ファンの傾向も明らかに最強推しになっているように感じます。

8月の興行で賛否を巻き起こした皇治や古瀬問題を見てもRIZINのファンは良くも悪くも硬派です。

ただ、こういうファンはRIZINが存続し続ける限りRIZINに熱狂しているのではないかと思います。

仮に堀口対朝倉海のリマッチで朝倉海が返り討ちにしたら朝倉海の支持はグンと伸びる気がします。

今後RIZINは成立しかけている競技の本質を守りながらどうやってファンを増やすかがやはり課題になると思います。それは国内のにわか層に深い理解と興味を求めるか、いっそのこと海外のコア層にこちらを振り向かせるかのいずれかになると思います。

RIZINのファン層と逆に競技として興味がないけど好きなファイターがいる層が増えすぎると、かつての魔裟斗対佐藤、亀田対ランダエタのようなことが起きてしまう危険性が高いです。

格闘技は台本がないから予め勝敗を決めることはできません。

だから競技に興味を持たれなければ人気のある選手を勝たせるしか生存の道はなくなってしまいます。

しかし、亀田も魔裟斗も人間です。

1年経てば1つ歳をとるし、いつかは引退の時が来ます。というかふたりとももう引退しています。

そしてMAXの場合はK-1の運営が当時すでに危うかったとはいえ魔裟斗引退に耐えられませんでした。

今思えば、魔裟斗以外にMAXで人気者になれそうなミドル級の日本人がいないから別の階級(-63キロ以下)に第二の魔裟斗を見出そうとしたのが2010年の軽量級日本トーナメントだったのでしょう。

イケメンの上松にフォーカスしていたのも魔裟斗のファン層を取り込もうとしたのだと推測できます。

MAX(魔裟斗)は格闘技に興味のないファンが多かったと書きましたが、もちろん私の周りに格闘技自体にそこまで興味がなくてもブアカーオが好きだった、サワーが好きだったという人がいなかったわけではありませんが、それはいつも男でした。

そしてなぜ好きか聞いてみると技術的なことはよくわからないけど強いからです。

勝手に容姿に惚れて応援してもらうのは構いませんが、作る側はその層に媚びるのではなく、強さこそ正義であることを忘れるべきでないと思います。

RIZINは上記で触れましたが、新生K-1、RISEに関してはどうでしょうか?

両団体のエース、武尊、那須川天心は現時点で最強であり最高です。

そんな彼らが負けた時、彼らに勝った新しい最強を受け入れる体制、準備は絶対にしておくべきです。

2008年のMAX準決勝時点でもし佐藤嘉洋が魔裟斗ほどではなくても、もっと露出があって知名度が高ければ判定の結果は変わっていたと思います。

当時のMAXには魔裟斗に変わる人材の準備ができていなかったというかしていませんでした。

だからこそ例えばK-1で言えばおそらく次回タイトルマッチになるレオナペタス、RISEで言えば天心へのリベンジを企てる鈴木真彦や志朗をもっと特集しておいても良いと思います。

逆に言えば那須川天心対武尊をお互い無敗状態で実施ことは両者が負けたときのフォローの準備ができないためとっても危険であることがわかります。


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