帯の江國香織を読む
長田弘『食卓一期一会』(ハルキ文庫 2007年11月)
この詩を読んだときの
驚きと幸福感、
詩のなかに流れる
時間の全き完璧さ。
エイミー・ベンダー『わがままなやつら』(角川書店 2008年2月)
エイミー・ベンダーの小説世界は、野の花のように荒々しい。
このような物語は、ほかでは味わうことができない。
それはつまりこういうことだ。
味わいたければ、野にでなければ。
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(新潮社 2010年8月)
読んでいて一編ずつ虚をつかれる。
これまで誰にも言わずにきたこと、
あるいは忘れていたこと、がそこに書かれていると感じてしまう。
石井桃子『家と庭と犬とねこ』(河出書房新社 2013年11月)
石井桃子さんのエッセイを読むことは、日なたと日かげのちゃんとある、なつかしくて正しい場所に身を置くことだ。でてきたくなくなる。
ジャンニ・ロダーリ『パパの電話を待ちながら』(講談社文庫 2014年2月)
この本を知っている人と
知らない人とでは、
人生が違ってくると私は思う。
愉快で、幸福で、豊かな本!
大島弓子『キャットニップ』(河出書房新社 2014年12月)
かなしいとうれしいの区別がつかなくなる場所で、猫たちはみんなきょうも生きていて、ここには日常というものの、深く確かな手触りがある。
トレヴェニアン『パールストリートのクレイジー女たち』(ホーム社 2015年4月)※ 訳:江國香織
どうしても、これを自分で訳したいと思ってしまった
植田 真 『ぼくはかわです』(WAVE出版 2016年7月)
川も時もたえまなく流れ、でもいつもそこにある。
体のなかを、きれいな空気が吹き抜けるような絵本です。
岩瀬 成子 『マルの背中』(講談社 2016年9月)
子供のころに、
言葉にできなかった
たくさんの気持ちが、
言葉になって、ここにある。
大久保 雨咲『うっかりの玉』(WAVE出版 2017年9月)
世のなかは、こんなふうにできている(のかもしれない)。
ひっそりした一編ずつに、なつかしい時間と場所がひそんでいる。
片岡 義男『窓の外を見てください』(講談社 2019年7月)
小説風に書くと、〝「革新的?確信犯的? なんといっていいかわからないわ、でも、すみずみまでほんとうにおもしろい」と香織は言った。「小説のなかで何度も発生するのね、小説が」そう続け、「それにしても、きび団子」と感に堪えたように呟いて、「こんな小説、片岡義男にしか絶対に書けないわ」と、幸福そうなためいきをついた〟のでした。
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