自分は今まで(56年間)生きてきたのか?

「ネットビジネス大百科2」のKさんのセミナーを久しぶりに見て(聞いて)感じたコト、考察したいと思ったコトをメモしようと思いました。

「ネットビジネス大百科2」とは・・・2007年にリリースされた累計5万本以上売れたマーケティング教材「ネットビジネス大百科」を完全リニューアルしたもの(2019年)

「ビジネスの本質」
「GAFA」=「ITコングロマリット」

セミナーはただ聞くだけではなく、問いかけをすることによりセミナー受講者に考え、発言させていました。

「IOT」
「あるプラットフォームの独占」
「2004年Facebook起業」
「インターネットでのビジネスのルール」
「ピーター・ティール」

「何」ではなく「誰」
「MSP」

人間の思考のエネルギーには限度がある
「考えるコツ」
「必要十分」
「ビジネスマトリクス」3×3
          人 コミュニティ マネタイズ
マインド
コピーライティング
マーケティング

「これからのビジネスはダーウィン的」←事前には準備できない、適応する

「ビジネス的により成功する」
・スケールアップ
・クオリティアップ

「MSP」が実現すれば「独占」になる
「自分を全部表現する」

このセミナーは以前に見たことがあるはずなのですが、ほとんど内容を覚えていませんでした。

今回、あらためて見た時に、いかに今まで自分が貴重な情報を咀嚼することなく流していたのか、と感じました。

自分は幸せになりたいと思いながら、なんとなく、少しづつ学んでいる気がしていました。

「人生の全ての出来事が学びである」
「生きてるだけで丸儲け」
等々の言葉を聞いて、何となくそんな気がしていました。

でも、本当の幸せというか、もっと周りの人も含めて幸せになりたいと思いながら、そのうちにとか、いつの日にか必ずと思いながら、あっという間に月日が流れてしまいました。

現在、収入は少ないながらも、行動を選択する自由があるので、自分としてはかなり幸せな環境にいると思います。

ただ、周りの人を幸せにするほどの力はありません。

「自分の力がもっとあったら、もっと周りの人を幸せにできるのに」と思いながら、見て見ぬふりをして、いつかそのうちに、とごまかしながら生きてきました。

今回あらためて「生きる」ということは、どういうことか考えてみました。

「生きる」とは「今の自分にできるコトをする」ということだと思いました。

「今の自分にできるコト」とはどんなコトでしょうか?


月にあと1万円か2万円稼げたら生活が楽になる人もいるでしょう。
そんな知り合いにお金の稼ぎ方を今の自分でも教えられるコトはあると思います。
自分が会社を作ってから十分な給料を払って雇わなくても「今の自分にできるコト」で少しでも幸せになるということではないかもしれませんが、苦労を減らすコトはできると思います。

振り返ってみると、今、何を優先して行動するべきなのか、真剣に考えてこなかった気がします。
なんとなく、緊急でやらなければいけないようなコトをやり、少し気持ちに余裕ができたら、なんとなく学んで、たまに遊んで、そんな繰り返しだったと思います。

人生には限りがあります。人はいつか体が動かなくなります。
そうなってから、初めて気付く人もいます。
そんな人がたくさんいると聞きました。
自分はそうならないようにしようと、なんとなく思っていました。

でも、もしかしたら、突然の事故等で明日急に体が動かなくなってしまうかもしれません。可能性は低くてもゼロではありません。

その時に自分は今までの人生を後悔しないでしょうか?

人は亡くなる前に後悔することとして
「あの時、あれをやっておけばよかった」と後悔するそうです。

失敗したコトを後悔するのではなく、
「できたのにやらなかったコト」
を後悔するそうです。

今の自分にはできるコトがたくさんあります。
でも、ほとんどのコトをやっていません。
そのうちと思いながら日々を過ごしています。

今の自分は何を最優先するべきか、本当は分かっていないからです。

人生の時間には限りがあり、日々衰えていくことを考えたら、もっと急がなければいけないことがあると思います。

「大切な人を守るためには力が必要」です。

今の自分には大切な人を守るための力はありません。

では、どうやって「力」を手にいれるのか、
いつまでに「力」を手に入れるのか、
真剣に考えたコトがあるのか?

自分は何のために生まれてきたのか?
自分は何のために生きているのか?

答えは人それぞれだと思いますが、
自分の答えは
 「大切な人を守るため」
でありたいと思います。

だとしたら、今の自分は何をするべきか
おのずと答えは出てくると思います。

以前の人生の目標は
 「人に喜びを与える」
というモノでした。

今にして思うと、だから何となくダラダラしていても、そのうち喜びを与えられるようになればいいと思っていたのかもしれません。

でも、「大切な人を守る」ためには「力」が必要で
今の自分に「力」がなかったら
一刻も早く「力」を手に入れなければ
「大切な人」を守るコトはできません。

この文章を書いていて、自分の今までの行動力の無さにあらためて気づきました。
なんとなくやってるつもり、でも誰にも怒られないので、そのままの生活を続けていました。

先日、聞いた情報で矢沢永吉さんの話を聞きました。
矢沢永吉さんの生き様はカッコいいと思います。
多くの人が憧れていますが、なかなか矢沢永吉さんのように生きている人は少ないような気がします。
その時の話で何か行動を躊躇しそうになった時に矢沢永吉さんは
「俺はいいかもしれないけど、矢沢はどうするかな」と考えるそうです。
自分の中に理想とする「矢沢永吉」がいるので
疲れたとか、辛いとか、面倒だとか、思っても
理想の「矢沢永吉」はそんなコトは絶対に思わないと自分を鼓舞するそうです。

「疲れた」とか「眠い」とか「だるい」とか真剣に一日一日を生きていたら
そんな言葉は絶対に出てこないと思います。
人生が今日一日で終わってしまうとしたら、疲れたから休もうと貴重な残り時間を使うでしょうか?

思いつくままにメモしていたら、自分が本当に言葉にしたいコトとは少し違ってきてしまった気がします。

「今、自分が何をするべきか」
「即断即決即行動」できるようになるためには
「なぜ、自分は生きているのか」の問いに
「即答」できるようにならなければと思いました。

まとまりがなくなってきてしまったのでこの辺で終わりにしておきます。
次回は「なぜ、自分は生きているのか」を考察したいと思います。

駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

2022年7月25日 江戸川のおっちゃん

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