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23-12-01 天使

12月という月は翌年を占う月とも言われるらしいので、ちょいと気になったことを掘り下げてみようと思う。

少女の眼差し



トイレ清掃中に小さな女のコが入ってきた。5歳か6歳くらいだろう。
個室に入ろうとする瞬間ふと振り返ってぼくが掃除をしている様子をじいっと見つめる。
気になって女の子の方に視線を向けると、「使ってもいいですか」と一言声をかけてくれた。

こんな小さな子がそんな気遣いをできることに驚くと同時に、ただそれだけのことが、何かとても良いことに感じられて嬉しくなった。
「どうぞ。お使いください。」
笑顔で応え、ぼくはまた作業に戻った。


これが今日一日を振り返って、一番心に残った出来ごと。
何かとても大切なことを訴えるような輝きを放つ眼差しだった。

あの女の子に恥じない自分になれていることが嬉しい。
そんなふうに思う。

もし自分が純粋さを見失って、愚痴や不平不満だらけになったり、他人に対して悪い思いを持ったり、ズルをして仕事をサボったりする人間であったなら、あの娘はきっと話しかけてこなかった気がする。


そうだ
思い出した。
僕自身子供のころ、他人の放っている雰囲気にとても敏感で、その人が悪いものと繋がっている感じを察知して、その空気感に恐怖と嫌悪が混じった感情を抱くことが度々あった。

その直感は実際に当たっていて、嫌な感じのする相手と実際に関わってみると、例外なくどこか不純で攻撃的な傾向が強く出るのだ。

そういう感性が敏感な子供は間違っても悪い空気をまとっている相手に声をかけたりしない。
関わるのはもちろん、近づくことさえ嫌だったことを思い出す。

それは差別的な主義による判断とはまったく違う、本能的な反応で、誤魔化しようのない感覚だった。

今現在でもその感覚は残っている。
考えてもみれば、けっこう残っている気がする。
こういう感覚は誰しも少なからず持っているものだと思う。

そうか、今日、というか今知るべきことは、ここにあるのか。
この一日に限らず一週間くらいを振り返って思い出されるのは、職場における出会いと別れ。

新人スタッフが入ってくるにあたって、今回は良い人材だという直感が働いていた。
実際にその通りだった。
と同時に一人退職した。
その人は負の空気を持っていた。
僕はほどほどの距離感で関わるようにしていた。
その人自身も僕に対して嫌いとかそういう事ではなく、居心地の悪さをどこか感じていたと思う。
最終日は互いに声を交わすこともないお別れだった。
不思議とそれが自然で違和感のない最期のように感じられた。

その職場には2年半くらい在籍しているのだが、意識せずその間に自分特有の磁力を放っていたのだと思う。
人がどんどん入れ代わり、また増え、その場の空気も随分変化した。
自分一人の磁力でそうした訳ではなく、同類の磁力をもった仲間達と今の空気をつくり、また人を引き寄せてきたのだと思う。
その結果そこに共存できない空気もまた生じてしまった、ということなのだと思う。

退職した人は僕より長く勤めていた最後の一人で、気づいたら僕が最古参になってしまった。
でも、よくよく考えてみると、今残っているスタッフは皆、僕の影響を強く受けている感じがするというか、辞めていった人の影響がまったく感じられない。
「僕の影響が〜」だなんて言うと自意識過剰にみえるかもしれないけど、分かりやすくするために敢えて遠慮なく表現している。
というのも、自分以降入ってくる人の殆どに何故か僕が仕事を教える立場に立たされていたので、自ずと僕の影響がほんのり及んでいるという現状もあるのだ。
したがって皆は僕に影響を受けているという自覚はないと思われる。あくまでも水面下の暗躍なのである。

で、
結果として良いチームが出来上がっているのが面白い。
自分の理想とするチーム像のようなものに向かって意図的に組み立てようとしていたらこうはならなかっただろう。とても自由性の高いチームがいつの間にか出来上がっている。

僕の仕事の仕方の影響でそうなった面は強いと思う。
役割を明確に固めないで柔軟に人助けをできる人材が多くいて、とても助かっている。
そうしろと指示したことはないが、身につけた仕事能力を自分なりに最適化し続けていたらあとに続く人が出てきて、それがスタンダードとして定着するという流れが多くあったように思う。

なんとなーく僕の仕事のやり方が流行っていく傾向があるっぽい。
その仕事のやり方の根底にあるのは、柔軟な人助けと気遣い気配りであり、要は優しさなのだと思う。

即ち僕の仕事のやり方が広まることによってスタッフの優しさが育まれていくシステムになっているってことか。

こうして考えてみると仕事を通した影響力の行使ってすごく面白いことなのだとわかる。
仕事の中に愛を発芽させる光を込めることができるのだ。
発芽した愛がつくる居心地に応じてチームが出来上がっていき、また去る者は去っていく。
2年半で知らずしらず形成してきたそれが、なかなか良いものだったっていう嬉しい気付き。

「お兄ちゃんは捨てたもんじゃないんだよ」
とあの少女の眼差しが教えてくれたのかもしれない。

そんな12月の始まりが示す翌年は、自己評価を改めるようなテーマがあるのだろうか。
引き続きこの一ヶ月を注視したい。


余談

そういえばあの女の子、絶対にいるべき保護者らしき人物が辺りに見当たらなかったな。
僕以外誰もいないトイレにふわっと現れて、じいーっとこっちを見つめてたけど、そんなこと実際にあったのか疑いたくなるくらい不思議な時間だった。
天使と出会ったような、忘れられない一瞬だった。
掘り返して良かった。

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