思ってたんと違う和太鼓

和太鼓が好きだ。
和太鼓に関しては知らない人はいないと思う。お祭りでドンドン鳴ってる和っぽいアレだ。

和太鼓との出会いは、そう、数年前……
大学内のサークル紹介で和太鼓部を見かけてなんとなく入った。演奏を聴いて感動したとかじゃなく、本気でただのノリだった。

いや、一応自分なりには考えた。音楽はそこそこ好きだし、ゆるいサークルは嫌だが運動音痴なので仲間に迷惑をかけるスポーツも割と嫌。でも吹奏楽部は無理。姉がやってたがアレは無理。

そんな時に目に入ったのが和太鼓サークルだった。いいじゃん和太鼓! 格好いいし! その程度のノリで始めた。

これが大当たりだった。周り全員初心者というある種平等な環境で、誰かの足を引っ張ることもない。手に豆を作りながらも切磋琢磨するのは非常に楽しかった。和太鼓といえば祭りなので、様々な自治体から声をかけてもらえて、いろんな場所で喜んでもらえた、あれもよかった。
何より先輩から過去問をいっぱいもらえた。サークルに入らなければ、まだ大学生活を謳歌していた気がする。

社会人になってからも、和太鼓がやりたかった。お祭りの熱気、自分の荒い息と力強い鼓動が調和していく、ある種トランス状態のような感覚をもう一度味わいたい。

そしてこの猛烈な肩こりをどうにかしたい。

そんなわけで、卒業後も和太鼓団体を探し、尻込みすること数回。とあるところに入会した。
アマチュアの団体だし、サークルではそこそこ頑張ってましたし、まだ若いですし? と正直舐めてかかったら、そりゃあもうびっくりするぐらいついていけなかった。びーっくりだ。

まず曲が凄まじく難しい。なにその振り付け。振り付けって何。太鼓って打つものじゃないの振り付けるの?

やっと曲を覚えたと思ったら「打ち方の基本がなんか違う」嘘がっつりやってきたのに!?
これに関しては流派の差みたいなもので、芸術あるあるだと思う。ここで良しとされていることは、他の団体では通用しない。太鼓団体の基本姿勢が、そりゃもう致命的に違った。この染み付いたクセを抜くのが非常に難しく、今でも抜けきらない。

いやそれにしても本当にこうまで違うのか。感覚としてはクラシック習ってたのに急にジャズを始めたような。
今までが「ドンドンドンドン」なのが「ッタゥッタゥッタゥッタ」みたいなリズムの取り方になった。つまり裏拍。もーこれが本当に出来ない。全てができない。

それでもなんとかかんとか馴染んできた頃、師匠がふと言葉を投げかけてきた。

「そろそろトラックの免許取る気になったか?」

トラックの免許を 取るのですか????

見えるだろうかこの大量のエクスクラメーションマークが。
いや、たしかに太鼓を運ぶのにトラックは必要だ。誰かがいつも運転している。
でもそれはわたしじゃない。完全に人ごとだと思ってた。
でもそうか、この人たちはみんな和太鼓のためにトラックの免許を取ったのか……はー。
大人っていろんなことを求められるんだなぁ……と思いながら「取れません」と答えた。嫌だよ怖いし。

さて、団体によって流派が違うと言ったが、これは本当にそうでまず打ち方が違う。

大学では、この打ち方しかなかった。

いや言いたいことはわかるが許してほしい。美術2でその後もお絵かきに興味を持てなかった悲しきヒトもこの世の中にはいるのだ。

話は戻り、今入っている団体も基本的にはこの打ち方だ。しかし、こういう打ち方をするときもある。

なんとわかりやすい図解だろう!
軽めの太鼓を腰にくくりつけて、踊りながら打つのだ。
曲によっては、後ろは基本姿勢で打ち、前で踊り打ちするものがある。こんな感じだ。

これがまた最強にカッコいい。カッコイイったらカッコいいんだ誰が何と言おうと。
はてさてこの踊り打ちだが、だいたい若さあふれる中高生がこのポジションにくる。この曲には「前で踊る子供達、それを守る親たち」という設定があるのだ。
わたしは親ポジションを覚えてドコドコ打ってたのだが、ある時唐突に先輩に言われた。

「そろそろじじさんには側転を覚えてもらわないと……子供ポジションのために」

側転を、覚える!?

無理無理無理無理無理無理頭が下に来るとか怖くて無理無理練習する場所もないし致命的に無様な姿を人様に見られたくない体育2でその後も運動音痴で居続けた悲しきヒトがこの世にはいるのだ少なくともわたしはその類だ

和太鼓をやろうとして入ったはずなのに、気がついたらトラックの運転と側転を求められていた。さすが伝統芸能、奥が深いな……と思いながら、頑なに親役をやり続けている。

あ、肩こりは解消されませんでした。

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