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616同性婚は憲法上認められない 常識的国語解釈の問題

大阪地裁で、同性婚に関する憲法判断が下されました。同性の間で憲法に規定する「婚姻」が成り立ちうるかが争われたもので、同性カップルからの国に対する損害賠償請求を斥けました。結論を述べれば、憲法解釈論としては「当然である」の一言です。

個人同士の好き合いに公権力が介入すべきではありません。ボクのような自由主義者はそう考えます。異性であろうが、同性であろうが、蓼食う虫も好き好き。好きになればくっつき、嫌になれば別れる。同棲するには国家の承認が必要であるとか、逆にいったん夫婦であると宣言したら死ぬまで添い遂げなければ罰するなどは、自由主義者の取るところではありません。夫婦関係も契約の一種なのですから。
しかし好き合う関係のうち、特定のカップル二人については法律で特別の優遇をするよう憲法が要求しています。それは婚姻によって形成される夫婦が社会の基礎であり、子孫を生み育てる基盤であるからです。これが人類誕生以来の習性です。
わが国の憲法では、婚姻について特に条項を置いています。それが24条。
1項で「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とし、2項で「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としています。
ここでキーワードが「両性」という言葉です。どのように理屈をこねまわしても、両性とは男性と女性の組合せを指しており、男性同士、女性同士は該当しない。ボクの国語力はそう告げます。
国を訴えたカップルあるいは弁護士の言語感覚はどうなのでしょうか。憲法の解釈の幅は広く、緩やかであるべきですが、最大限拡大解釈しても、無理なものは無理。同性同士の「婚姻」を成立させようとすれば、憲法24条の規定を改めるか、アメリカ憲法のように婚姻の根拠条項を置かない。つまり24条を削除する憲法改正を主張すべきでしょう。三権分立の基本に照らせば、裁判所の案件ではありません。
ちなみに昨年3月の札幌地裁は憲法14条を根拠に、同性間の「婚姻」を認めないのは不合理な差別に当たるとしました。14条の規定を掲げましょう。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

この条項をよく見てください。「わが日本国では身分制を設けない」というのが眼目です。この大原則を述べる条項を持ってきて、同性婚を異性間の婚姻と同等にせよと憲法が要請しているとするのは、どう考えても行き過ぎ。24条を骨抜きにするイデオロギー的主張に等しいものです。
ところがマスコミの一部は、今回の大阪地裁判決を時代錯誤であるかのような印象操作の解説を振りまいています。例えばあるテレビ局報道の標題は、大阪地裁が「司法判断から逃げた」かのイメージ操作を感じさせます。公共放送なのですから、視聴者を扇動するのではなく、正確な報道を心掛けてほしいものです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a5618d493163c7dc125e58178e5ce5f085249bf

アメリカを引き合いに出して、日本で同性婚を法制化しないのはおかしいという主張をする者がいます。憲法を無視した法律を作れとは、その発言自体が憲法遵守義務違反です。
そのアメリカですが、連邦最高裁は2015年に同性婚は合衆国憲法の下の権利であり、州は同性婚を認めなくてはならないとの判断を下したのは事実です。でもことは複雑で国民多数が賛成ではないようです。
ここでアメリカの憲法に触れる必要があります。アメリカの連邦憲法には婚姻に関する条項はありません。家族に関する事項は定めるとすれば州憲法でとなるのです。アメリカ国民は基本的にキリスト教徒ですから、「旧約・新約聖書に書かれているとおり、結婚とは一人の男性と一人の女性の合一として神によって定められたもの」と信じています。同性婚運動に危機感を感じた人々は、州憲法に日本国憲法の24条に相当する「両性の合意のみによって婚姻が成立する」条項を加えていきました。
それを連邦最高裁が認めないとしたのが2015年。これには「州の権限を連邦が侵している」との批判が絶えません。さらに判決は9人の裁判官中4人が絶対反対を貫く中での薄氷の多数決でした。裁判長自らが反対意見であり、「選挙で選ばれたわけでもない自分たち法律家が、民主的手続きを経ずに目新しい憲法をでっちあげてよいのか」と裁判官が扇動家に迎合することを強く批判しているのです。ボクはいずれ2015年の判決を覆す新たな判決が下されると予想します。
同性婚へのこうした根強い反対はどこから来るのでしょうか。それは同性婚論者の政治性にあります。もともとレズビアンやゲイなどの団体は、伝統的な結婚制度そのものを破壊しようとしていました。男女が子を産み、協力して育てるという社会的な仕組みそのものに反対だったのです。子どもが生まれることを前提として、一夫一婦の男女カップルに特別の地位や恩典を与えるのは許せない。自分たちは社会の伝統的束縛から解放され、子どもを作らず、地域の奉仕活動にも背を向ける。それを承認せよという運動でした。
これに知恵をつけた運動家集団がいました。婚姻している者には政府の給付金、年金、所有権、健康保険、税金、相続などでの優遇がある。こうした特典だけを受け取れるよう、プロパガンダで世論を変えてしまおう。そうして綿密な広報戦略を立て、豊富な政治的資金にものをいわせて、法廷闘争、政治闘争を展開したのです。そうした経緯を踏まえると、同性婚運動の指導層の中にアメリカ社会の分断を引き起こそうという意思を持つ者がいた可能性も考えられます。
同性婚運動は現時点では成功しています。同性婚による挙式数増加を当て込んでのブライダル業界などの支援も強力です。同性婚挙式用のケーキを焼かないと断ったパン屋には、団体を挙げての中傷などの営業妨害を行い、天文学的慰謝料請求訴訟で威嚇しました。さらには同性婚者への差別禁止を掲げて、その実、逆差別的な有利な地位を得るための法整備を議員たちに要求しているとのアメリカ国内報道もあります。
同性婚を異性婚と同等に優遇せよという主張なのですが、この先どうなるのか危惧する声も大きくなっています。同性婚論者の主張の一つは「同性愛者が性的指向を変えることはない」ですが、事実によって覆されています。指向が変わると、その前後のパートナーとの整理をどうするのかという問題への対処が必要になります。また夫婦は二人ではなく、一夫多妻とか一妻多夫が生じるのではないか。トランスジェンダーでは操をどう守るのかといった派生問題が多々想定されます。同性婚主張者たちはどのような解決策を用意しているのでしょうか。それとも厄介なことには蓋をするということでしょうか。
いずれにせよマスコミには抑揚の効いた分析的報道を願いたいものです。

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