見出し画像

411ノーベル受賞者の碑

町歩きをしていると思わぬ発見をする。2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大森智さんの顕彰碑があった。場所はボクの在住江東区内の森下。ドジョウ料理で有名な店がある地域と言えばわかる人が多いかも。子どもが小さい頃、食事に連れて行ったのだが、「ドジョウよりもウナギがいい」と好評ではなかった。そんな思い出とともに散歩していたら、墨田工業高校がありその正門横で写真の碑を見つけた。

ノーベル賞に選ばれた大先生である。出身地などに顕彰碑があって不思議ではない。だけどこの先生出身地はたしか山梨県。大学も山梨大学だったはず。
碑の上部に「本校元教諭」とあった。それでこの学校との関係を知ったわけだが、一時期先生をしていただけ縁で、顕彰碑を建てるとは律儀な学校である。ウィキペディアを開いてみた。「大学卒業後、理科の教諭を志したが、地元山梨での採用がなかったため、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)に移住、東京都立墨田工業高等学校定時制に5年間勤務し、物理や化学の授業で教鞭を執った。学業に熱心に励む高校生に心打たれ、もう一度勉強し直したいと考え、1960年、東京教育大学の研究生となり…」とあった。

学ぶきっかけを与えてくれた者はだれでも「先生」というが、大村さんの場合、墨田工業高校の生徒が向学心に火をつけてくれたことがわかった。大村さんの子ども時代は耕作や家畜の世話などの家業に従事していたため、高校卒業まで勉強はほとんどしていなかったが、「スキー部と卓球部で主将を務めるなどスポーツに熱中し、国民体育大会の選手にも選出されるほどだった」とある。小学校から塾通いを続け、試験テニックで偏差値上位大学に進学する昨今の優等生とは質が違う。
「微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を45年以上行い、これまでに480種を超える新規化合物を発見し、それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献している」ことは、ニュースなどで知っていたが、今回ウィキペディアで知ったことはほかにある。
「北里研究所の経営再建、女子美術大学への支援や私費による韮崎大村美術館の建設、学校法人開智学園名誉学園長を務めるなど貢献業績がある」と紹介されている。詳しくは「社団法人時代の北里研究所においては副所長や所長を歴任し、研究所の財政再建に尽力するとともに、メディカルセンター(現:北里大学メディカルセンター)の設置を推進した。同法人の立て直しに道筋を付けるとともに、学校法人北里学園との統合を果たし、新たな「学校法人北里研究所」の発足に漕ぎ着けた。そのほか、教育分野では学校法人女子美術大学の理事長を2度にわたり務め、学校法人開智学園の名誉学園長を務めた。そのほか、自身のコレクションを基に韮崎大村美術館を設立し、その館長を兼任している」とある。
 世界的な賞を得るほどの人は専門分野以外でも社会に貢献しているのだなと改めて感じ入った次第である。ボクら凡人とはスケールが違う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?