カトリック教会のLBGTQについての考え
ひょんなことからカトリック新聞の寄贈を受けることになった。4月28日号に人間の尊厳についてカトリック総本山(バチカン)がどう考えるかの解説が載っていた。勉強のために抜粋してみよう。
新聞は「ジェンダー理論は違いを曖昧にする」と見出しをつけた上で、バチカン教理省が4月8日に定めた宣言文「ディニタス・インフニティ(限りない尊厳)」を紹介している。以下、その関連部分引用しである。
ー (カトリックは)は、人々が「単に本人の性的志向のためだけに投獄されたり、拷問されたり、さらには当然の権利さえも奪われる」特定の状況を強く非難する。
しかし、「性別という生物の間にある可能性な限り最も大きな違いを否定する」ジェンダー理論は危険極まりないもので、(カトリックは)強く非難する。
「人のいのちは、その全ての構成上、つまり身体的にも霊的にも、神からのたまものだということです。このたまものは感謝のうちに受け止められ、善のための奉仕に向けられねばなりません。」
「男性と女性の間の性別という消し去ることのできない違いへの言及を曖昧にしようとする試みは排斥されなければなりません。」
「男らしさ、女らしさというものは、神の想像のわざ ーわたしたちのどんな判断や経験にも先立ち、軽んじることのできない生物学的要素となっているものー とは切り離せないのは事実です。」 ー
カトリックの宣言はすんなり理解できる。日本人の古来からの考え方そのものである。同性愛を犯罪扱いすることはない。性的志向には寛大な国民性。しかしながら当人の主張一つで、性転換になるなど自然の摂理に反したことを受け入れることはできない。造物主である神への冒涜である。
しかるに国会では各会派が党議拘束をかけてまで、全体主義的に「LGBTQ理解増進法」を可決した。宗教国家を自任する以外の国において、法まで定めて思考強制する国がほかにあるのだろうか。君子、過ちをただすにはばかることなかれ。くだんの法律は廃止されるべきである。
それにしても日本の国会議員の中には、カトリック信者はただの一人もいないらしい。