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439財務次官を支持する

『文藝春秋』2021年11月号「財務次官、モノ申す このままでは国家財政は破綻する」という記事が波紋を呼んでいる。「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います」。
 これに続いて、「数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結さえ訴えられ、さらには消費税率の引き下げまで提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」。まさにそのとおりだ。最後まで読んでいちいちご説のとおり。
 国家の必要条件は強い政府財政。当たり前すぎで、なんでもっと早く言わなかったのかと不満。ただ矢野さんとしては、事務次官になるまで隠忍自重してきたということなのだろう。課長レベルで正論を吐いても、無視されるだけ。
「官僚は(昆虫の)セミである。最低でも局長になるまではおとなしくしていろ」と諭してくれる先輩がいた。その教えを守り、懐に温めている政策を酒席以外では決して吐かない同僚がいた。その甲斐あってか、局長になったけれど、体調を壊して自説を実現することなく退官し、今も入退院を繰り返している。
その点では矢野さん初心を果たせたということだろう。個人的見解と断ったふりをしているが、発言主は財務事務次官。「総選挙を控えた時期にこうした発言をするのはいかがなものか」と与党を忖度する声が省内にあるようだが、それこそ公僕としてあるまじき国民への裏切りである。国家公務員の雇用主は主権者である国民だ。たまたま与党の座にいる特定の政党ではない。総選挙の今だから矢野論文のタイミングは最適だった。投票権を有する全国民に対し、国の財政運営を誤らせるような者を議員に当選させるなと呼び掛けているのだと理解すればよい。
国家財政の基本を律する法律は財政法。その4条では「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」となっている。ここ何十年も発行され続けている赤字国債はすべてこの条項に反している。プライマリバランス(単年度収支黒字)は、財政法ではイロハのイなのだ。
財政法では赤字国債発行は絶対の禁止事項。外国軍の来襲をはじめとする国家非常事態に備え、平時に国家財政の規律を緩めず、しっかり剰余金を積み上げておくべきというのが財政法の立場なのだ。それでも対応しきれない国家存立にかかわる大事変の場合には、臨時一時的な特別法で財政法の原則を曲げることはやむを得ないかもしれない。ところがその禁じ手の特例法が常態化して、何十年も赤字国債を出し続けている。その異常を放置した上に、「いまはコロナの非常事態だから、特例公債の大盤振る舞い」を要求する。議員バッヂをつけたとたんに順法精神がなくなるのか。
財政赤字が積みあがって1000兆円になろうが、5000兆円になろうが、政府財政は破綻しないというMMT説を説く者がいるが、それが可能なら無税国家でよいことになる。錬金術の一種でまともにとりあえるものではない(「まったく(N)」「もって(M)」「トンデモ(T)」説である。その証拠に財政法4条(プライマリバランス黒字原則)は廃止されていない。
 与党自民の高市早苗政調会長は、矢野論考について「大変失礼な言い方だ。基礎的な財政収支にこだわって本当に困っている方を助けない。これほどばかげた話はない」と批判したという。失礼なのはどちらか。高市発言は「基礎的収支にこだわる必要はないのだ」と言っているように聞こえる。ならば財政法4条との整合性をどう考えるのか。それを先に言うべきだろう。高市さんはマスコミに煽られて、鬼の霍乱をしたものとしておこう。
「国民はほんとうにバラマキを望んでいるのか」、「コロナの10万円定額給付金を効果があったのか」と矢野論文。彼も本当に困っている人を助ける財政支出には反対しないだろう。ただ、財政の原則を崩すことは許されない。必要なのは予算の優先順位。その決定が、民主主義国では政治家の役割である。政策を論じる政調会長として、既存の補助金、給付金等に大ナタを振るい、コロナ対策費を削り出す腕の振るいどころと張り切るのが筋ではないか。
総選挙の各党の政策を見ているとバラマキ協奏曲。財政健全化を主張する政党は一つもない(ざっと見ただけだが)。今は財政健全化を棚上げする時期だとの主張は、言っては悪いが、負けても、負けても、掛け金を引き上げながらポーカーを続ける賭博者の言い訳である。そのうちにツキが回ってくるはずだからと。だけど胴元(投資家)が貸してくれるカネにも限度がある。その限度に達する前にツキがこなければゲームは終了。指を詰めて済むか、命で払うか。そんな危険なゲームを国民は望んでいない。

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