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790 憲法は"同性婚''を排する

公明党の北側一雄副代表の発言が新聞のベタ記事にあった。読売2023.2.10
その全文。
婚姻は両性の合意のみに基づいて成立すると規定する憲法24条について、「婚姻は他者から強制されるものではないという趣旨で、同性婚を排除するする規定ではない」と述べた。同性婚を認める場合でも憲法改正は必要ないとの認識を示したものだ。
 
記者の聞き違えてあってほしいと願う。
 
憲法は同性“愛”を排除していないというのであればまっとうな解釈だ。世界には同性愛を処罰する国もあるが、わが国は同性愛には昔から鷹揚(おうよう)。戦前もそうだし、その前の武士支配社会でもそう。平安朝、さらに遡って古代王朝時代もそうだった。したがってわざわざ憲法に書き込むことではない。
“婚姻”はまったく別問題。社会制度の問題である。
婚姻とは社会的承認を経た(法律上正式の)持続的な家族関係の基礎をなす制度的な保証である。法的な関係であり、戸籍制度の根幹。戸籍は婚姻届が受理されることから始まる。そこで未成年の婚姻は認められないなどの制約がある。
では男同士、女同士ではどうか。戸籍制度創設以来、夫婦は男と女で作るものとされ、不都合はなかった。異を唱える者もいなかった。家族は次世代を産み育てる人間関係と理解されてきたからだ。この“家族”の意味合いを根底からひっくり返すのであれば、慎重な検討が必要なのは当然であり、一議員や政党の思い付きでの変更が許される事項ではない。
 
男同士、女同士の夫婦関係を法的に保障しなければこの国が立ち行かないかのごとく北側氏は騒いでいる。しかしなぜその関係を法的に保護しなければならないのか。人権問題、差別禁止という以外の理由を挙げていない。
うがってみると同性婚論者は戸籍制度を廃止したい。この一点への執着だ。戸籍制度はそんなに悪いものなのか。まず、その点を論じるべきではないのか。
繰り返す。男同士、女同士で同棲、同衾することを日本社会は昔から禁止していない。つい近年まで同性愛を処罰していた国々がその反動で社会が動揺しているのとは違うのだ。
 
同性愛をことさら異様な視線で見るのは、風変わりな服装をことさらにあげつらって差別するのと同じで、現行法でも名誉棄損その他で注意も処罰もできる。場合によっては賠償請求も成り立つ。
それで何が不足なのか。そこに戸籍制度を巻き込んで一挙に破壊してしまおうというのは角を矯めて牛を殺す愚にしか見えない。賢明善良な人々が付和雷同するのは危険である。ヒトラーの快進撃を見て「バスに乗り遅れるな」と、民主主義を放り出して同調して国を誤らせた失敗を繰り返してはならない。

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