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468徹子の部屋コンサート

 黒柳徹子さんの「徹子の部屋コンサート」に行った。
 もうすぐ90歳になるそうだが、お元気そのもの。さらに元気づけられたのが、トークの軽妙さ。いちいち挙げればきりがない。特に紹介したいのが、ゲストの一人である歌手・役者である中村雅俊さんとのやりとり。記憶を頼りに文字化すると次のようになる。

「あなた昔から何とかと言われるお歳になったのですってね」
「はい、今年の2月に古稀(こき)の70歳になりました。中学生の孫もいます。そのせいか、ドラマでおじいちゃん役が定番になりました」
「それはミスキャストよ。孫相手の役をファンは期待していないと思うわよ。恋をして不倫する役なんかを期待したいわ。そのほうが若さを保つことにもつながるわよ」
「そう思います。でも不倫シーンを見たファンが離れていく不安があります」
「ファンは役であることを忘れて、実生活と混同しちゃうものね。でも、たかが70歳で老け込むのはおかしいわよ。」
「日本では恋は若者がするものと決まっていますからね」
「それがおかしいのよ。私に言わせれば、70歳は中年そのもの。70代あたりのみなさんには、現役の気持ちでいてもらわなければ困るわね」

 観客はこのやり取りに大うけだった。会場を埋め尽くした観衆のほとんどが、中村さんよりも年上だったからだ。回りは頷き、拍手する人ばかり。
 わが国は前人未到の高齢社会に突き進んでいる。であれば、昔の年齢概念では社会を支えられない。超高齢社会、極度の少子社会に対する不安が国民を覆っている。それに対してわれわれはどうすればいいのか。その心象はなかなか表面化しない。徹子さんのインタビューで聴衆の思いが一体化したのではないか。

 ところでコンサートの会場は東京国際フォーラムのAホール。1万人近くは収容できそうな立派な施設だった。国の表玄関、東京駅のすぐそばにこうした施設があることを誇っていいと思える。名称が国際フォーラムであることに納得できる。ただしそれには条件付き。わが国が青少年の多い時代であれば、この施設は文句なしだった。だけど今回のコンサートのように、会衆がこぞって老齢者ばかりということを想定すると設計ミスだったのではないか。
 行った人は分かると思うけれど、施設内は階段だらけ。それも駅の階段とは違って、勾配がきつく、踏板は狭い。しかも証明は暗い。コンサート終了後、帰路の人びとは階段を下りていく。もし一人が踏み外しでもしたら、それこそ将棋倒しでけが人続出だ。
 国際フォーラムの開場は1997年である。今から24年前。善意で解釈すれば、この時点では満席の聴衆のほぼ全員が高齢者のコンサートが開かれるとは想定しなかったのだろう。言い換えれば高齢化の速度は、かくのごとく急激であったということだ。人間の想定能力などたかが知れている。一国のリーダーである人たちには、そのことをしっかりと胸に刻んでもらいたい。
 岸田総理は「聞く力」に秀でていると自賛している。でもいくら聞く力があっても、相手が知覚していないことを聞き出すことはできない。想像力が伴わなければ単なる記録者である。黒柳さんはインタビュー数のギネス記録を持っているとのことだ。45年間の「徹子の部屋」で延べ2万人をインタビューしたとのことだ。彼女の聞き出す力の背景には、たしかな社会認識がある。相手が深層内に抱えているものを浮かび上がらせるものでなければ、視聴者を引きつけ続けることはできない。

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