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養育費支払い強制へ公的対応

 好きが嵩じて合体する。そうして子どもができる。理屈ではコントロールできない動物としての摂理、本能。
 そして好き嫌いの感情の変化が変わるのも動物ならでは。人間は財産を等分して離婚する。その際に分離できないモノがある。それが子ども。法的には“親権”というけれど、実態は“養育の義務”。
 離婚に際して親権を争う姿が散見されるが、二人の共同行為で作ったのだから、勝手に放棄できるはずないではないか。これが「共同親権論」で世界の標準。婚姻中は共同親権であり、離婚すれば単独親権でなければならないというのは、日本のほかには北朝鮮だけだとどこかで読んだ記憶がある。「単独親権論」は子どもの人権にとってどうなのか。そもそも人権概念があるのか否かも疑わしい北朝鮮はともかく、人権擁護局というお役所まであるわが日本国の法制が北朝鮮と同じというだけでも、単独親権論はどうなのかなあと思ってしまう。
 親権の経済面で重要なのは子どもにかかる養育費。わが国では児童養育手当という公的給付が国からなされるのだが、その前に離婚を機に親権を放棄した(奪われたともいう)側の養育費義務がどうなっているのか。
 離婚に際して養育費の取り決めがされるはず(子どもにとっては重大問題である)だが、それがなされていても現実に約束が果たされているのは3割にも満たない(28.1%)という。
 養育費負担義務は自己の行為に対する結果責任なのだから、わが子が可愛いいとか、可愛くないとかで左右できる事柄ではない。しかるにこの責任を果たそうとしない者(そのほとんどが男性側)がかくも多いのは何か。
 多くの識者が指摘するように、先に挙げた児童扶養手当の支給がある。夫が急死した場合の子どもの養育費を代替するのが族基礎年金。夫は死んでしまって養育費負担をできない。それを肩代わりする。その財源として夫は生存中に国民年金保険料を支払っている。つまり保険給付である。
 これに対して児童扶養手当では、夫は離婚して家庭から出て行っただけ。養育費を支払う経済力を失っていない。だが感情のみつれなどで、当面、支払いを渋るかもしれな。ならば国が一時的に肩代わりする。これなら合理的だ。払って分は後日に返してもらう。だって児童扶養手当は国民年金に組み込まれていないから、財源は税金なのだ。(政府財政は赤字だから実態は国債が充てられており、将来世代の税金ともいえる)。
 無責任な男、つまり産ませっぱなしを容認する運営が行われている。児童扶養手当には、「この手当支給はそうした男の養育費に関する責任逃れを許すものではない」との規定があるにもかかわらず。
 児童扶養手当の目的を静かに再考してみよう。まず、①子どもに十分な養育費をあてがうこと。次に、②それを別れた夫に負担させること。この二つだろう。本来は妻が民事裁判で請求すべきといっても、司法界や弁護士がどれだけ頼りになるか。しかも元夫が暴力亭主だったら、妻にも子どもにも最悪のことが起り得る。
 先に、国民年金という保険制度には「遺族基礎年金」があると述べた。しかし「離婚児童年金」はない。子どもの養育の重要性に目を転ずるならば、離婚児童年金を国民年金に作ることだ。月額6万6千円の支給が可能にある。次に、夫は生きているのだから、遺族基礎年金と違って払いっぱなしは合理的でない。しっかり返してもらう。原因者に求償するのは“保険”の大原則。この際、わが国の国民年金が国民皆加入になっていることに注目できる。20歳から60歳までは国民年金保険料納付義務がある。月額1万7千円ほどである。
 これに離婚児童年金支給に伴う元夫の返済金を上乗せするだけだ。年金支給は子どもが18歳になるまで。一方の返済は60歳まで。分割すれば月々の返済は2万円か、3万円か。当人にとっては国民年金保険料が3倍になるとしても結果責任なのだから納得するほかないだろう。
 こう考えると養育費不払いの無責任な男を放任しないのはさほど難しいことではないように思える。
ポピュリスト政治家の「バラマキ」には困ったものだが、貸付の仕組みに改め、一般国民に迷惑をかけず、本来の責任ある者にしっかり負担させることで、子どもたちの経済的人権を守る方式であれば、倫理にうるさい国民も納得するだろう。

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