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オリンピック開催の意義はなにか 札幌市の落選を機に前向きに考えよう 

 札幌市が2030年の冬季オリンピック開催都市に落選した。市はその次の2034年開催を目指すというが、寝ぼけているのではないかと諫めるのが、同地の北海道新聞社説。
 詳細は社説に書いてるので再説しないが、札幌市民の多数は開催都市になることに反対している。当然だろう。市民にとってオリンピック開催都市になることにどういうメリットがあるのか。それが示されないまま、多額の市財政を投じる意義があろうはずがない。
 オリンピックの歴史に詳しくないが、開催が巨額財政負担を伴うようになったのはいつからか。
 通常、人気スポーツはテレビ放映権などで主催者は利益を得る。しかるにオリンピックではなぜ逆に主催都市が費用を負担し、さらに無関係のはずの国家にも財政負担が求められるのか。
 五体健全な若者がその能力を披露するのがオリンピック。それだけのことではないか。公費を投入する意味などそもそもないのではないか。
 それとの比較で言えば、パラリンピックには大いに価値がある。ハンディキャップを負った人が努力成果を競うわけだが、その際に競技者はたいがい支援器具を使う。その器具は科学技術の粋であり、日の丸を背負った選手が勝つということは、その選手が使用した器具が精巧であったことでもある。そしてその技術は、やがて汎用化されて、社会のあらゆる分野での便益につながることになる。そうした工業製品開発と販売において日本企業が優位に立つならば、パラリンピック参加に価値があったと言うことになる。そして開発のモチベ―ションとして地元開催は大きな要素になるだろう。
 札幌市長や市議会へのアドバイスをしよう。現実性の有無は別にして、「札幌市はパラリンピックのみの開催都市になりたい」と申し出るのはどうか。日本は少子社会化で人口減。障害者の社会参加はどの国よりも真剣な課題だ。そのためのパラリンピック開催は市民、国民の利益を得られるかもしれない。
 パラリンピックに向けての競技用器具の開発や改善を飛躍的に進めることで、日の丸はどの国の旗よりも多く上がり、国内の障害者が元気づき、開発企業には外貨もうなるように入る。夢ある話ではないか。


<北海道新聞社説>札幌五輪30年断念 招致続ける大義あるのか
2023年10月12日 05:00
 
札幌市の秋元克広市長は日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長と共に記者会見し、2030年冬季五輪・パラリンピックの招致断念を表明した。34年以降の可能性を探ると言う。
 秋元市長は「招致に対する理解が十分広がったとは言い切れない状況にある」と説明した。
 新型コロナ下で開催が強行された東京五輪が市民の五輪熱を冷ました。開催経費は膨らみ、大会後には汚職・談合事件も発覚して、五輪不信は決定的となった。
 なぜ札幌に招致するのか。東京五輪後に一層高まった市民の疑問に、市は開催の意義や説得力のある答えを最後まで示せなかった。民意に正面から向き合おうとせず走り続けて窮したと言える。
 30年断念は当然の帰結だ。34年以降に先送りするにしても招致の大義を示せるのか。来夏のパリ五輪を経て、東京五輪の不祥事の風化を期待する時間稼ぎにも映る。
 34年大会は米ソルトレークシティーが有力視される。その次なら38年だ。15年後の重要課題に責任を持つことは難しい。
 上田文雄前市長が招致に名乗りを上げ、秋元市長が引き継ぎ、札幌市は約10年間、人材や予算など貴重な行政資源を活動に費やしてきたことも見逃せない。
 市は招致を白紙に戻し一連の判断が妥当だったか検証すべきだ。

■民意に鈍い市と議会

 札幌市は当初、26年大会を目指したが、胆振東部地震の復興が優先だとして、18年に30年大会に変更した。だが20年からのコロナ禍もあり、招致活動は低調だった。
 東京五輪の汚職・談合事件を受けて、札幌市は今年7月、事件の再発防止策の中間報告をまとめ、各地で市民対話を実施した。
 招致への理解を深めてもらい、市民の意向調査を行って賛同を得る。その上で国際オリンピック委員会(IOC)にアピールし、招致につなげるシナリオだった。
 だが対話では、物価高で生活が苦しい中、五輪への多額の税金投入に違和感を抱く市民の根強い声が浮き彫りになった。
 一方、欧米に次々と有力候補地が現れた。札幌市は結局、意向調査もできないまま、IOCから「落選」を告げられる前に、自ら手を下ろしたのが実情だ。
 もっと早く、民意と情勢の変化を受け止め、早期に撤退することもできたはずだ。行政の硬直性が現れたと言うほかない。
 市議会にも同じことが言える。昨年には、住民投票条例案と住民投票を求める請願をそれぞれ反対多数で否決、不採択とした。
 住民投票は間接民主主義を損なうものではなく補完するものだ。
 市議会は行政の監視機能を果たしたのか。むしろ市と一体となって招致を続け、市民感情を軽視してきたのではないか。
 議会に向ける市民の目が厳しいことを忘れてはならない。

■IOCも問われねば

 IOCは東京五輪の暑さ対策でマラソンと競歩の会場変更を急きょ受け入れた札幌市の運営を評価し、30年大会の本命と見ていた。ところが市が機運を盛り上げることができず見切った形だ。
 IOCも問われている。そもそも五輪が真夏に開催されるのは、欧米のプロスポーツのイベントが少ない時期だからだ。スポンサーが付き、米テレビ局から巨額の放映権料を得ることができる。
 「アスリートファースト」とは到底言えるものではない。
 東京五輪の汚職・談合事件にしても、広告代理店とスポンサーが潤う商業主義化した五輪の負の側面が露呈したと言える。
 相互理解や平和といった五輪の理念や価値は形骸化しているに等しい。IOCは五輪のあり方を根本的に見つめ直すべきだ。

■まちを考える契機に

 札幌市の都市整備は1972年大会を機に進んだ。30年はインフラを更新し、都市再開発を進める「起爆剤」との位置付けだった。
 国家的イベントを招致し、まちづくりを図るのは、高度成長期の発想であり、時代にそぐわない。
 25年大阪・関西万博は会場建設費が当初の1250億円から約2300億円に上振れし、海外パビリオンの建設は遅れている。道内も北海道新幹線の延伸が遅れ、人手や建築資材が逼迫(ひっぱく)している。
 五輪や万博などのイベントで得られる経済効果は一時的だ。半面、施設の維持や撤去に多額の費用がかかる負の遺産は大きい。
 札幌市は五輪で国際的な知名度を向上させ、観光客増を目指すとも言うが、国際情勢や気候変動、感染症にも左右される巨大イベント頼みはリスクが大きい。
 札幌市は人口減少期に入り、高齢化も進む。持続可能なまちづくりに力を入れるべきだろう。五輪に頼らず、住民本位の身の丈に合った施策こそ求められる。

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