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373ロボットの脅威

『ロボットの脅威』という本を読んだ。著者のマーティン・フォード氏はシリコンバレーを拠点とするソフトウェア企業の創設者(翻訳は松本剛史さん、日本経済新聞社発行)。
 近年のロボットは単に人間の労働を代替して楽をさせるもの初期レベルのものではない。こうした初期レベルのロボットでも、未熟練労働者は職を奪われるのだが、近時のロボットは高度の人工知能が組み込まれており、自ら考え、自主的な判断をする。このためホワイトカラー労働者の職分も代替してしまう。やがて企業の経営や国家の政治指導者の役割も代わりにこなすようになるだろう。
 そうすると人は何をするのか。言い換えれば、未来社会において人間に残された仕事はあるのか。だれもかれもが仕事を失ってしまうのではないか。そのため本書のサブタイトルは「人の仕事がなくなる日」となっている。
 その状況を分かりやすくするために、著者は宇宙人の地球進出を描いている。この宇宙人たちは平和主義者で侵略の意図はない。ただ仕事をすることだけを生きがいにしている。人間が嫌がるどのような仕事も、並の人間の手に負えない知的能力を必要とする仕事も喜んで引き受ける。疲れ知らずで、24時間365日休みを必要とせず、給料を受け取らない。
 地球のある政府はこうした宇宙人に仕事を依頼することを禁止しようとするかもしれない。しかし各国間で足並みがそろう保証はないし、企業間での抜け駆けを完全防止することはできないだろう。そして歯止めがなくなり、やがて仕事という仕事は宇宙人に任せられることになる。
 そうすると社会はどうなるか。楽ができるのだから素晴らしい社会であると喜んでいられるだろうか。たしかに製品やサービスの価格は下がっていく。消費者である人間にとっては望ましいことだ。だが、価格はゼロにまでは下がらない。宇宙人の労働コストはゼロだが、原材料その他は有償である。では消費者たる人間の財力はどうか。宇宙人の貢献で価格は半分になったとしよう。ところが人間は働くことをしなくなったら、収入は半分ではなく、ゼロになっている。つまり購入できる者がいなくなるのである。消費者の購買力を超える供給はあり得ない。
 これが筆者の指摘する「ロボット社会の脅威」である。人間に購買力を持たせるために最低限所得保証制度を導入すべきだと筆者は主張している。ミルトン・フリードマンが最初に提唱したとされるベーシック・インカム制度である。理論的に賛同する者が少なくないが、技術的な問題点が多く、導入すれば目的に反する収拾のつかない悲劇になるというのが一般的予測である。
 人間は尊厳を必要とする生き物だ。仕事をせず、遊び暮らすだけの人生に意義を感じることはできない。宇宙人、正確にはロボットが本来有償であった仕事を無償でやってしまうようになった後、人間はどうすればよいのか。そこで必要なのは価値観の転換かもしれない。今の時代、人間は仕事に価格をつけ、それが大きいこと(例えば年間2千億円稼ぐ人の時間給は最低時給千円の10万倍以上)を人としての価値と評価している。それを改めてしまうことが必要なのかもしれない。仕事に価格付けをしない。代わりに社会からの感謝の点数で評価することにするのだ。
 例えば視覚障害者の歩行を手助けすると1点、認知症高齢者の繰り返し話に2時間付き合ってあげると2点、歩道脇に花を植えて半年間手入れすると3点…といった具合である。その点数が各人のマイナンバーカードに記録され、製品やサービスの購入に使用することができる。
 こうした社会がいいのかどうか。世界の富をかき集める楽しみがなくなるからつまらないという者は少ないかもしれない。世界の超富裕層(このなかにはどういう手段を講じるのか、共産主義国のリーダーはたいがい含まれる)は猛烈に反対するだろう。だが、個人にとっての製品やサービスの必要量はおのずから制約がある。億万長者の資産は一代では使いきれない。子どもへの相続は世代を超えて格差を拡大させる。保有する財貨を競うのではなく、社会的評価点数を競う社会を目指す。それがロボットの脅威に対する人間社会の対応ではないか。

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