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381杉原千畝展に行く

 日本橋高島屋デパートで開催中の「杉浦千畝展」に行く。入場料千円。買い物をしたら招待券をもらえた。ラッキー!
 この人を知らない人は「日本人」を名乗るのをやめた方がよい。国益への貢献度は、国内の全政治家を合わせたよりも大きいと思う。第二次世界大戦でのナチスによるユダヤ人計画的殺害はよく知られるが、ソ連共産党による迫害(ロシア語でポグロム=パグローム)も、情報が隠されているため伝わっていないだけで、それに劣らない極悪非道、言語道断の悪質だ。この後者の部分は日を改めて…。
 杉原さんはロシア事情に通じた有能な外交官。満洲の鉄道権益をめぐってソ連外交をやり込めている。このためソ連から目の仇にされ、日本外務省のモスクワ駐在辞令が、ソ連当局のペルソナ・ノングラータ通告で立ち消えになっている。ソ連は彼がよほど煙たかったのだろう。裏を返せば格段に有能ということだ。
 隣国リトアニアに赴任することになったが、そこで生じたのがソ連による侵攻と併合。2014年のウクライナ東部とクリミア半島への侵攻でも再現されているが、この国の侵略体質は変わらない。
 再び、主題に戻す。ドイツの占領地から逃れてきた者を含め、ユダヤ人はリトアニアから脱出したい。残っていると絶滅収容所に入れられる。そのためにはいずれかの国の大使館・領事館から入国許可ビザを取得する必要がある。各国政府及び在リトアニア外交官は、独ソの鼻息をうかがい、行動しない。杉浦さんは人道的配慮からの行動を主張したが、日本の外務省(当時の大臣は松岡洋右=日独伊三国同盟や日ソ不可侵条約の立役者)は煮え切らない。電報をやりとりしている間にも、ソ連占領軍による日本領事館閉鎖の日が迫る。松岡さんは決断。本国政府の指示に反して独断でユダヤ人へのビザ発給を始める。(他地域でも人道的行動をとった日本人外交官がいたようだ。誇らしいことだ)。杉浦さんは国外退去の汽車が動き出すまで2千通以上を発行した。帯同家族を入れればその数倍だろう。
 日本入国のビザを得たユダヤ人たちは日本の敦賀港に上陸し、各自のつてを頼って世界に散っていった。そのとき親に手を引かれていた子ども、さらにその子ども(孫)たちが、それから約80年後に日本政府発行ビザによる命の救済への感謝を述べるビデオ録画が流されていた。戦後建国されたイスラエル政府は、杉浦さんを探し出し、第1級の人権勲章を授与している。日本国憲法は「人権国家」を標榜している。杉浦さんは最上位の模範国民だ。
 展示に写真があったが、救われたユダヤ人の氏名が列記された碑が存在している。実名ほど確実な証拠はない。確実な証拠、証言がなく、歴史の創作の疑いが濃い“いわゆる慰安婦”や“いわゆる徴用工”との対比を国民としてどう評価すべきか。三度脱線した。
 戦後数年の抑留を終えて帰国した杉浦さんだが、外務省からビザ発給が無断だったことをとがめられて追放された。真の理由は、ソ連への気兼ねだったとする説もある。日米開戦のアメリカ政府への通告を人為的不手際で遅らせ、「真珠湾の仇討ち=リメンバー・パールハーバー」という格好のスローガンの素材を与え、アメリカの勝利に大貢献した当時の在ワシントン大使館の面々が、戦後相次いで外務省高官に上り詰めていることとの対比をどう見るか。
 杉浦さんへの扱いがあまりにも片手落ちとの声が沸き起こることになった。その運動団体の事務所が虎ノ門の小さなビルの1室にあったのを目にしている。平成の初めだったと記憶する。運動が実って、外務省が名誉回復宣言をするが、そのときの外務大臣が河野洋平氏(元官房長官)。ボクは河野官房長官のいわゆる従軍慰安婦に関する談話が、「根拠のない虚言であり、日本国民の名誉を汚すことおびただしい」と繰り返し糾弾しているが、それは彼に政治的判断ミスを認めて撤回してほしいから。杉浦さんの名誉回復はよい政治判断であったと評価する。
 杉浦さんに関しては第10回でも取り上げている。

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