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430第百代総理の寿命

 岸田内閣が発足した。明治の元勲伊藤博文が憲政開始に先立って初代内閣総理大臣に就任したのが1885年。それから起算して100代、節目の座を岸田さんは射止めた。日本の内閣制度がいつまで続くか楽観はできないけれど、「百代目が岸田文雄という人物であった」と歴史書には記されることになる。日本という国が存続するという条件付きだが。
 「歴代総理大臣の名を挙げよ」と言われて何人を言えるだろうか。実数では実は百人ではなくて、岸田さんで64人目。総辞職や衆議院解散後に、同じ人が選任されても新たな代と数えてきた。安部晋三さんの場合、第90代総理になったが病気のため1年で退陣した。民主党政権に代わって再登場して第96代総理になり長期政権を率いたが、先の数え方により第97代、第98代と重任したことになる。そして第99代の菅さんを挟んで岸田さんが第100代総理大臣。
 衆議院の任期は今月21日に切れる。総選挙後の衆議院で新総理大臣を選出することになる。岸田さんが選挙で勝って総理に再任されても、これは第101代として数えられる。
 
 ここでクイズだ。岸田代第00代総理は記者会見で、10月31日を衆議院の投票日と宣言した。今の衆議院議員は10月21日に任期切れで失職する。そうであればそれ以前に選挙をして新議員を選出しなければならないはずだ。公職選挙法31条でも任期満了の日以前に総選挙を行うべしと定めている。10月31日の投開票では違法ではないのか。
 解答は同条2項以下。任期末に国会開会していたときは、総選挙を延期し、国会閉会の日の24日から30日後に行うべしとしている。現に10月4日から13日までの会期で国会が召集されている。この2項の規定により、総選挙の期日が10月21日より後になってもよいことになったわけだ。ただし24日間を経た後の日程しか設定できず、11月にずれ込んでしまう。
 改めて31条を見ると、3項に衆議院解散であれば解散日から40日以内とあり、直ちに実施できるように見える。これを根拠にすれば、10月内の選挙が可能になる。おそらくそういうことだったのではないか。ただし疑問は3条には、「1項に関わらず」の文言はない。選挙期日を変えるためだけの衆議院解散はありなのかという疑問をぬぐえない。
参考までに公職選挙法31条の条文を掲載しておこう。

(総選挙)
第三十一条 衆議院議員の任期満了に因る総選挙は、議員の任期が終る日の前三十日以内に行う。
2 前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から二十三日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から二十四日以後三十日以内に行う。
3 衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から四十日以内に行う。
4 総選挙の期日は、少なくとも十二日前に公示しなければならない。
5 衆議院議員の任期満了に因る総選挙の期日の公示がなされた後その期日前に衆議院が解散されたときは、任期満了に因る総選挙の公示は、その効力を失う。

 総選挙に向けて与党が人気の高い者に代表を替えるのはいいだろう。でもなぜ、総理までにわかに変えなければならないのか。
 菅さんに失政があったわけではなく、健康状態に不良があったわけでもない。衆議院の任期がもうすぐ終わり、選挙後に総理の指名が行われる。その際に、新代表を総理候補として押すことでよかったはずだ。そして新総理による組閣と同時に、菅内閣は総辞職する。
この段取りであれば、そもそも今国会の召集は必要性がなく、衆議院の任期切れである10月21日までの選挙日程になっていた。選挙後直ちに新総理を選出することで(総理使命は国会の最優先事項:憲法67条)、岸田さんは栄えある第100代の日本の総理として、10月31日に予定されているG20など重要な国際会議にデビューできたはずだ。久方ぶりに主要国首脳が直に顔を合わせて議論する。この絶好の機会を欠席するようでは、国運を担う気概に欠ける内弁慶宰相と評されても反論できないだろう。
 与党の新総裁になった岸田さんが、「自分は総選挙を仕切り、その後に本格内閣を作るから、それまでもう少し総理を続けてください」と菅さんに言うことはできなかったのか。

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