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シーガラスを拾わない

「理科室の水道の水圧高すぎる」
「行けたら行くは来ない」

かなり擦られているあるあるってありますよね。
誰かがこういうあるあるを意気揚々と言っているのを聞くと、僕は「おもんな」ってなっちゃいます。

たぶん同じことを思う人はいるでしょう。

でも、これってそもそも「多くの人が共通して日常でよく遭遇する場面=あるある」なのだから、あるあるとしては成り立っているし、擦られているということはそれだけ多くの人が共感しているということだから、かなりあるあるの中でも純度が高いあるあるのはず。

では、なぜ擦り倒されたあるあるは面白くないのか。
それは、笑いにおいて「意外性」というものが重要な役割を担っているからだと思います。

擦り倒されたあるあるはあるあるとして成り立っていても、既に何度か聞いたことあるものであれば、意外性もクソもない。

そう考えると、「あるあるネタ」というのは、多くの人の共感を得つつも意外性のあるネタという結構な難条件をクリアしなければならないのである。だからレギュラーはすごいと思う。

話は変わりますが、この前同僚と話しているときにどういう流れからか、僕は「実寸法師」というワードを思いつき、言葉に発した。

この「実寸法師」というワードを僕はめちゃくちゃ面白いと思い、味を占めてその日何度か口に出しウケようとした。

しかし、後々ネットで検索してみると「実寸法師」という言葉はかなり擦り倒されているワードだった。めちゃくちゃ恥ずかしい。

僕は知らなかったのですが、この世には「実寸法師」というコンピューターソフトが1989年から存在していて、しかも朝から晩まで休みなく使い続けられる生活必需品らしい。

あれだけ普段から擦り倒されたあるあるを馬鹿にしていたのに、僕はまだ消費税がギリギリあったかなかったかくらいで、ベルリンの壁がギリギリがあったかなかったかくらいの時代から擦られている言葉を使って、意気揚々とウケようとしていたのです。

羞恥の沙汰。

これからは、こういった恥ずかしい思いをしないために、面白いと思った言葉があれば、それが既出であるかどうかをしっかりと確認してから使いたいと思いました。

え、みんなもこういう経験ありますか??

もしかしたらこれもかなり擦られたあるあるなのかもしれませんね。

あるあるのシーガラスといったところでしょうか。

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