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イゲンという化石

さて! 今から遡ることン年前、某大臣が「女性は産むキカイ!」とイッタ、イワヌで、ヤメロ、ヤメヌの騒動となった件をご記憶であろうか? 当時はニュースや新聞はもとより、ワイドショーでも連日ネタにされたわけであるが、しかしこれはある意味、真実であって、しかも掃除・洗濯・炊事もこなす結構便利なキカイである、と内心では思いつつ、それを職場や家庭で口に出せない小心者の旦那衆!! ジェンダー・フリーなどという、心にもない言葉を口にしてフェミニストぶるのは構わぬが、しかし考えてみれば、かくいう我々も、毎月、給料という生活のカテを家庭に持ち帰る忠実なキカイであって、その他、朝のゴミ出し等、雑多な家事全般を引き受ける便利屋機能、さらに、産むキカイからの「オトコって、ホント、いいわねェー」などという、いわれのない誹謗中傷に耐えるサンドバッグ機能まで、負けず劣らず高性能なキカイであったことに気づき、この世はまるで銀河鉄道999に出てくるような「機械人間」が跋扈する社会だという現実に愕然とする拙者でござった!!

と、単なる勢いづけのためだけの、神田伯山もゲンナリの、無駄に長い掴みのため、本題を手短にまとめなければならなくなってしまった……。

   *      *      *

子供の頃、拙者の家は、三世代が同居する当時のスタンダードな世帯であったが、夕食時、幼心に不思議に思っていたことがある。 
拙者の父と、その父(つまり祖父、じーちゃん)の二人は、毎日そろって晩酌をし、母、祖母、兄、拙者らは先にご飯をいただいていた。この時、母は、決まって父と祖父の茶碗にご飯をほんの申し訳程度によそい、それぞれ晩酌の膳の脇に据えるのであった。
誤解の無いように言っておくと、うちは別段、由緒ある家柄でも何でもなく、戦後、何とか「中の下の中」あたりまで這い上がってきた程度、であった。

さて、この「儀式」、いったい何の意味があるのだろう? と不思議に思った拙者は、母に訊いたのであるが、母は「これはねえ、しるし、よ」と言うだけで、それ以上の詳しい説明をすることもなく、毎日、淡々とこの「儀式」を続けた。
そのうち拙者も、何となくこれは家の中のエラい人に対してやるっぽいな、と気づき、では自分も、と、母にこの「しるし」をねだった。そして、茶碗の中にほんの少し盛られたご飯を見て、少し大人になったような気分になり、嬉しかった記憶がある。 
それから半世紀近くが過ぎ、「しるし」を脇に置いて晩酌をする父や祖父の姿も、もう無い。 

   *      *      * 

週末、自宅マンションのLDKで妻や子供との夕食。 
自分は缶ビールのプルタブを開けてグラスに注ぎ、先にひとり晩酌を始める。 
ほどなく「御飯、もうついでおいていい?」とキッチンから妻。 
もちろん、あの頃の「しるし」みたいな少量ではなく、食べる分そのまま一杯を茶碗に盛っていいか、という意味である。
ビールの後、もうちょっと日本酒かワインを飲もうかなと思っていた自分は、ご飯が冷めてしまわないよう「いや、まだいいよ」と言う。 
そして、あの「しるし」のことに触れ、昔はこんなこんなだったよねえー、と当時、家長である男には「威厳」というものがあって、それなりに扱われていたものだ、と、よせばいいのに余計な解説を加える。 

「何っ? そのオトコ中心の、上から目線なシキタリ!」 

案の定、ソファーでスマホをいじっていた娘がかみついてくる。 
しかし自分は、特に言い返すこともせず、「はいはい、今は男女ドーケンよねえー、ドーケン。」と、無用な揉めごとを避ける。 

単に、昔はよかった、と、懐古趣味に浸るつもりもないが、家長や年長者の威厳を大切にした昔ながらの習慣が、こうやって消えていくのも、ちょっと淋しいような気もする。
そのうち「イゲン」という言葉自体、遠い昔の時代の、意味のない威張り散らし、などと定義され、古語辞典くらいでしかお目にかかれなくなくなってしまうのかもしれない。 


◆例によって、あとがき、のようなもの
前回に続き、今度はHDD 及び休眠中のブログまで、ゴソゴソあせくっていると、またまた出てきた、とーちゃん、じーちゃんに関する記憶、というわけで投稿いたしました。

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