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【読書】『国道16号線「日本」を創った道』柳瀬博一 著

16号圏に住んでるものにとって誇らしくなるような本がでた。わたしは普段からこの国道で通勤し、買い物し、飲み食いしているのだが、それでも知らないことがわんさか出てきて面白かった。

本著の特徴は16号を地質学的な特徴である「小流域」という単位でとらえているところである。小流域では地形を活かした稲作ができるため古来から人が集まる場所だった。また、水場が近いことから馬の飼育がしやすいために牧が設けられ、後の東国武士団の興隆につながり、鎌倉では幕府ができた。

「小流域」について著者の柳瀬博一の説明はこうである。

16号線エリアにはどこを走っても、横須賀と同様「山と谷と湿原と水辺」がセットになった地形がずらりと並んでいる。
「山と谷と湿原と水辺」のセットの地形とは、台地や丘陵の端っこにできた「小流域」地形のことである。―中略―16号線は「小流域」地形が数珠つなぎになった道路なのだ。」

16号線には狭山とか入間とか平野から丘陵地に入るような地形的特質を名前にした地名もある。(そのほか鎌倉の扇ヶ谷や佐介ヶ谷などの谷底の湿地を指す地名もこのエリア特有といえよう)埼玉が河川面積日本一というように利根川や荒川といった一級河川だけでなく、小さな支流が多くいことから16号ではそれらが刻んだ谷と台地を通過するため凹凸が多々あることに気づく。

そして、台地は安定した飛行場の建設が可能であることから、横田飛行場(横田基地)やブルーインパルスのイベントで知られる入間基地、柏原飛行場が作られた。ネットが無い時代のアメリカの最新の文化に触れるチャンネルは進駐軍クラブやハウスだったことから、16号圏発祥の芸能プロダクションやミュージシャンを多く生んだ。ここらへんは両親あたりでは当たり前の知識だったのだろうけど、わたしにとっては「へー」な意外さがあった。あの大滝詠一や細野晴臣が瑞穂町や狭山のハウスで住んでいたことがあったとは!

また、16号は起点が三浦半島にあることから横浜や横須賀との結びつきが強い道路だ。文明開化とともに外国との貿易が始まり、生糸が日本の代表的な品物になった。桑都と呼ばれていたくらい養蚕が盛んだった八王子に長野、群馬、山梨から関連品が集積され横浜に運ばれる日本版「シルクロード」ができた。その絹の道のルートが今の16号線に重なることから、16号は日本の経済をリードしてきたと言ってもいいだろう。

今日においても横浜は、浚渫いらずの深い水深が得られる良港であることからグローバリゼーション~コンテナリゼーション革命の波の中でも生き残ってきた。16号は港からの物資を陸揚げし輸送する道であり、全国から物資を集めて加工し輸出品を港へ届ける道として機能している。

・国土交通省2019年 世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング

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まあ、住民からすると「日本一混雑する道」っていうのは時にストレスなのだけれども、日本経済の大動脈なのだから然もありなんとして受け入れるほかあるまい。

目次

第1章 なにしろ日本最強の郊外道路
第2章 16号線は地形である
第3章 戦後日本音楽のゆりかご
第4章 消された16号線―日本史の教科書と家康の「罠」
第5章 カイコとモスラと皇后と16号線
第6章 未来の子供とポケモンが育つ道

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