和田彩花さんのアルバム「私的礼讃」を読む

これは和田彩花さんのアルバム「私的礼讃」を、キーワード「人間」「わたし」「あなた」「愛」「I」「自己同一性」「アイデンティティ」などに着目して読む試みです。

2021年の「私的礼讃」の発表から、2年以上が経ちました。
リリース当時にはわからなかったけど、2年のなかで思ったこと、感じたことがたくさん増えました。②のインタビューで和田さんは歌詞が重く聞こえないことを喜んでいるから、ここまで読み込むのは、ちょっと重すぎるかも。でも記録として残します。すでに「私的礼讃」を聴いている人向けの文章です。目次の「最後に言いたいこと」だけ読んでもらっても大丈夫です!※本文は、ですます調じゃなくぱらぱらした感じの文章になっています。
 
最初に、書く上で特に下敷きにした資料について載せます。文中で①②と出てきたらここから引用しています。
①    楽曲について

②    楽曲の制作過程や解釈について(「私的礼讃」発売当時の、南波一海さんによる和田彩花さんへのインタビュー)

 あとは書く中で引用したり参考にしたりしたサイトはその都度リンクを載せてます。


エピローグ

最初の曲が「プロローグ」ではなく「エピローグ」であることが面白い。
この歌の登場人物は「みんな」で、「わたし」が「みんな」を紹介しているような形。最初にやることで、「みんな」は「バンドメンバー」であるとイメージされる。
楢原英介さんによるセルフライナーノーツ

楢原さんのライナーノーツを受けた和田彩花さんのTwitter(X)での投稿によると、「歌詞のある部分は、明日香村の風景を文字におこした」そうだ。

弾むようなリズムと歌詞から情景が浮かび、今生きるものたちの躍動が感じられる。「歴史の反復 「そういうもの」ではなくない?」という歌詞には、歴史へのリスペクトと、「そういうもの」という諦めへの抵抗が同時に見出される。

空を遮る首都高速

この歌の登場人物は、「わたし」と「あなた」であり、「私たち」である。
この歌のテーマは幅広い。SNSでの中傷であり、アイデンティティの告白であり、女性差別であり、ケアである。また、歌詞は①にあるようにストレートだ。特に、「ベールはとって あなたの目と わたしの目 同じ高さ」「上からも 下からもくる 押し付け合い ビルの屋上」という歌詞には、「下駄をはく」「ガラスの天井」「女性が一方では男性並みに働くことを期待され、一方では常に家庭内労働力とみなされる矛盾」といったことが想起させられる。自然と頭の中に、追い詰められて都会のビルの屋上に逃げてきた女性と、その目の前を横切る首都高速が浮かび上がる。そこでベールを取って目線を合わせられたら、という希望と、不可能かも知れないという疑いの気持ち。それでもそこに可能性を見出したい。
この歌は以下の2つの歌詞で閉じられる。「愛と愛を ぶつけてみて 今ここで」「わたしあなた 同じ人間 今ここで」 唐突に出てくる「愛」について、一つの読みを試みるが、「愛」は「I」なのではないだろうか?(この読みについてくわしくは「ホットラテ」で)
(ちなみに、アンジュルム「愛すべきべきhuman life」の「次世代だってリアルタイム みんな同時代」って「同時代の 私たちが 今ここに」からの引用の可能性もある?)

mama

この曲の登場人物は「私」と「母」の役割を背負う「あなた」。
テーマはジェンダーバイアス(性差に基づく偏見)と、そこから気付かされる性役割規範、「母」のアイデンティティについて。
「あなたの人生」「あなた自身の姿」「あなた次第の天気を」「あなたをどう呼んだらいいかわからない」と、繰り返し「あなた」に「あなた自身とはどういう存在か」を問うが、それは問いと言うよりも「わたし」から見た「あなた」への願いだと感じる。

スターチス

この曲では、「愛」が人のように登場する。別れの歌。
正直なところ「心の騒めきが知らす時刻を」「あと4分、尚更、口を閉ざしてしまう」という歌詞に、和田さんが所属していたグループとの別れを想像してしまうが、それは邪推だろう。
この曲の「愛」は、少し後ろ向きなものである。オープンで、全面的に受け入れられるもの、ではない。そっけなく、一定の距離をとり、悔やむけれどもそれがちょうどいいと感じるもの、である。この歌の「愛」も「I」と読む余地があるかもしれないし、「愛」そのものなのかもしれない。居心地が悪いことによって居心地が良いような歌でとても好きだ。

ゆりかご

①によると、「和田がマーク・ロスコの抽象画表現からインスピレーションを得て制作したのがM6「ゆりかご」である。」とのこと。
本当に頬杖をつきながら半ば眠り、半ば考え事をしているような歌。(「無くした希望の代わりに現実 無くした希望の代わりの癒し?」というフレーズと、スターチスからの続き方に、また前グループを思い出すが、聴き手それぞれにとっても「無くした希望」は具体的に想像できるものであるはずだ)
静かな自己内省の歌詞はそれ自体がケアであると感じる。「探られる自己同一性」とあるように、自己同一性を探ることもまたケアだろう。 

#15

この曲の登場人物は「私たち」と「あなた」。
① によると、「和田の仏語詩はフランスの画家、ゴーギャンの作品からのサンプリング」とのこと。このゴーギャンの作品とは、日本語の訳題「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」であり、フレーズが曲中に何度も繰り返される。それに対して和田彩花さんは「どこから来てたっても 何者かわかっても あなたに変わりはない」として曲を閉じる。これも「あなた自身」という自己同一性についての言及である。
また、「ときどききっと 人間ってことも 忘れてしまうのでしょう」にあるように、「人間らしさの忘却」もまた、「私的礼讃」のテーマだと感じる。(詳しくは「パターン」で。)

Une idole

あまり音楽に詳しくはないけれど、A面が終わってB面が始まった感があり、また、私にとってのフェミニズム・アンセムである。少なくともこの曲がアイドル・アンセムになっていないのがなぜなのか?と思うけれど、和田さんがフェミニスト・アイコンであろうとしていないのもよくわかってはいる。とにかくこの曲が好き。
この曲の登場人物は、「私」と「あなた」。
少し長いが歌詞を引用すると「Levez votre main, 私ここにいる Où êtes-vous ? どこか彷徨ってる ならば 挙手して自意識でいい それが必要」「Réveillez-vous , 何が見えてくる? 現在地 正確に示し だけど どきどき あなたのこと 愛しく思う」私はこの曲を聴いたときに、「挙手して」というのが他者への呼びかけであるかは定かではないが、仮に呼びかけであるのならば、応答したいと思った。
また、この曲がインターセクショナリティ(交差性)の曲であることは、音源化されていない「この気持ちの行く先に」の歌詞(「人と人の 間にある差について 声にして心で 向き合ってもいいよね」「言葉をつむぎ 未来をつかむこの手で あなたの気持ちの 先にあるものは何」)を知ったときに、自分の中ではっきりした。和田さんは初期から、インターセクショナルな視点で、自分自身の自己同一性=自分が誰であるかを探りながら、あなたの自己同一性=あなたは誰であるかを知ろうとすることを歌詞にしていたのだ、と思った。
 
和田彩花さんの楽曲制作当時のブログ(ちなみにこれ以外に楽曲制作時の公式なブログはないっぽい?)

フランス語を訳してくれた方のサイト

インターセクショナリティについて参考にしたサイト

みやしたぱーく

楢原英介さんによるセルフライナーノーツ

この曲の登場人物は、「わたし」と、「わたし」と「わざと目を合わせないのに いつもの調子を保つ」「なにか」、である。
みやしたぱーくといえば、渋谷の再開発の象徴、というイメージである(地方住みの自分にとっては、旅行に行ったときに近くを通ったことはあるかもしれないが、行ったことはない場所)。反対運動があったことも、後から知った。
この曲の歌詞からは生ぬるい身体性が漂ってくる。2人組で、速いスピードで歩いていて、「開発区域」を擁する街はどこか不穏である。「わざと目を合わせないなにか」は「わたし」の「夢」を叶える代わりに、「わたし」にわたし自身を差し出させようとする。でも、「わたし」はその誤魔化しを見抜いている。「なにか」は男性的な存在であるような気もするし、また資本主義の比喩のようにも感じる。

ホットラテ

参考にさせていただいたnote記事

実は「対立軸の間の世界」の「間の」を理解していなくて、しっくりくるのに時間がかかってしまった曲。①に「多様性のグラデーション」とあるが、もっと言えばこの曲はクィアネスの曲だと思う。
もう一つ、しっくりくるのに時間がかかった理由は、この曲の「愛」がよくわからなかったからだと思う。この曲の登場人物は「わたし」と「あなた」だが、「あなた」は対立軸そのものを生きているようである。では「愛」はどこに向けられたものなのだろう、と。「空を遮る首都高速」で、読みの試みとして「愛」は「I」なのではないか、と書いたが、ホットラテの「秘めた深い愛」「貫く愛は今日もここに」も、「秘めた深いI」「貫くI は今日もここに」といったアイデンティティを示すものとして読める余地があると想う。愛とIが同音であることは偶然でしかないし、そういう意図は全くないのかもしれないが、そうやって聴くことでしっくりきた。(それが2023年の7月くらいだった)

For me and you

私とあなたのための歌。「私」の経験と気づきから始まり、「私」と「あなた」のために歌われる。性差別、そこから派生して性暴力の歌であり、me tooの歌だと思う。
 
2020年6月の「私たちには空があるだけだって、確かめてみよう」のライブレポート2つ

ライブは実際に見ていないのだが、For me and youを歌うときに「黄色に塗った花を持つ」ことはフラワーデモを連想させる。「怒りさえうちに秘めている 悲しみを乗り越えた先で 真実を求めてる声に 蔓延る無傷な偏見」「真実を求めてる声が どこかで誰かを照らすの」はまさに性暴力被害を告発した場合に起こる作用反作用であると感じる。「唯一のあなたでいること願って」「あなたを想っているの」「あなたのために歌う」「あなたのそばで」「あるべき感情」と、この歌は「あなた」の側に立つことを宣言し、「私」が私自身の感情に向き合うことを誓い、「あなた」があなた自身の存在と感情でいられることを願っている。
2023年も性暴力の告発が相次いだ。最近はこの曲を聴くと泣いてしまう。

私的礼讃

「朝 行き交ってる人並み乗れず 適時 白線上歩ってみて」という歌詞と音像は、都会の雑踏から、いきなり「歩って」という方言によって、(和田さんの出身地である)群馬の人気の少ない道に飛んだような印象を受ける。(アルバム「私的礼讃」は歩いている情景が浮かぶ曲が多い)
また私はこの曲を聴いたときから、「溢れすぎてるわざわい超えて」「顧みるほどに辛い?」「なにした気になれそう?」という歌詞に3.11と、数多の災害・戦禍を想像していた。2010年代に起きた「溢れすぎてるわざわい」に、私たちは何ができたんだろうか?と。それはアルバム「私的礼讃」全体が、和田彩花さんが2010年代に感じたことを歌っている印象だったからそう思ったのかも知れない。(②で、歌っていることは変わっていない、でもこの2年くらいで終わりかな、という発言もあり、「私的礼讃」と「パターン」はその総括のような曲だと感じた。以下のnoteでも、「私的礼讃」は過去の集大成であり未来に向けた作品でもあると解釈されている)

パターン

歌詞の「人の 気配を消しては 一日なるもの ようやく始まろうとしてる」がしばらくわからなかったのだが、「#15」で歌われたように「人間らしさの忘却」をしなければ、都市生活としての「一日」が始まらない、ということを表しているのだと思う。そして「人間らしさ」を取り戻す過程を歌った曲が「パターン」であると思った。
以前Twitter(X)で書いたことがあるのだが、この曲は経済合理主義者が、アイデンティティの問題や差別の問題を「たいしたことじゃない」と切り捨て(本当によく目にする仕草だ)、その加速する資本主義をどんどんと進んでいくことを、「得体のしらぬ手つきで 脇においちゃって なにを残そうと?」「悲しいかな その都合は退屈」「人は 行く当てなく手にとり 先へ進む 意味はき違えようとしてる」と、それは何も残さず、退屈なものであると明確に否定し、「私は乗らない」と拒否する歌だと感じている。「得たいの知らぬ手つきで拒否して」という挿入は、かれらがアイデンティティの問題を切り捨てるのは、その現実を受け入れられない弱さからであることが伝わる。
でもこれも後から思ったのだが、「パターン」という楽曲は、「私たち」の「手」と「かれら」の「手」を別物とは扱わない。だから「愛で語り合いたい」のであり、それは「Iで語り合いたい」とも読める。よって「規則的 赤くなる手は パターンの呼応もってはじまる」は希望を持って歌われる。
 宗教歌のような荘厳な雰囲気の「パターン」が最後にくるのがとても良い。

まとめ

ここまで書いたことからわかるように、私は今、「私的礼讃」をフェミニズムの多様なテーマ(性差別、バックラッシュ、性役割規範、ジェンダーバイアス、ケア理論、インターセクショナリティ、ジェンダーアイデンティティ、クィアネス、資本主義…)を捉えた楽曲群だと思って聴いている。それはリリース当時からそう思っていたことだったり、最近になって気付いたことだったりが混ざっている。そうやって時間をかけて私自身に届いた「私的礼讃」というアルバムを、埋もれさせたくないというのが、この文章を書いた一つの動機だ。(もう一つは、せっかく考えたから記録しておきたくなっただけなのだけど。)
 追記:これはあくまで個人的な印象・解釈です。和田さんの書く歌詞はとても詩的で魅力的なため、もっと多面的な読み取り方ができると思います。

好きな曲を3つ挙げろと言われたら、Une idole、パターン、空を遮る首都高速なんだけど、フェミニスト的におすすめの曲と言われると、mama、ホットラテ、For me and youかなぁ。独特な雰囲気だったらスターチス、ゆりかご、みやしたぱーく。全曲好きです。

最後に言いたいこと

最後に言いたいことで、もはやここだけ読んでもらえれば十分という感じなのですが、ライブアルバムを作ってくれて本当にありがとうございました!!和田彩花とオムニバスのバンドの音がとても好きです。
 
それから「私的礼讃」以降の楽曲(「sachi」「ナガイヨル」「Le Le bonheur」「きいろいいえ」)も、LOLOETも最高です。「私的礼讃」などはサブスクアプリで聴けますし、配信サイトで購入もできます。LOLOETの曲はバンドキャンプでも販売してます。 
 
 

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