和田彩花 『私的礼賛』を聴く

2021年11月末に発表された和田彩花のアルバム『私的礼賛』について。

心地よさ

最初に出てくるのは「音が心地よい」ということ。
音数もガチャガチャしていないし、楽器同士の音の分離もしっかりしている。
アンビエントな要素もあるし、一方で体を揺らして何も考えないでその曲だけを聴いていられる、そういう要素もある。
とにかく音のバランスがいい。
(ハイレゾ/ロスレスで聴くとなおのこと)

サウンドのジャンルの交わりは必然か偶然か

そして、それに付随して出てくるのが「音自体がとても面白い」ということ。

大きく括ってしまえば「オルタナ」という言葉になってしまうのかもしれない。
でも、各楽曲の音のジャンル、もっと言えば同じ楽曲の中でも楽器同士で鳴らされている音のジャンルはバラバラ。
ディスコ/テクノもあれば、少しアフロを感じる音もあるし、このベースはちょっとUK以前のドリルっぽいなとか、そういう要素もあったりする。

常々ジャンルの異種交配は魅力的だなと思ってきたが、これをマルチジャンルと呼ぶのか、ジャンルレスと呼ぶのか、ジャンルミックスと呼ぶのか、この作品を前にして正しい呼称を見つけることはできない。
そして、ジャンルの違う音たちがサウンドメイクの段階でどれくらい意図的に混ぜられていったのか、つまりさまざまなジャンルの音を交差させることが初めからのミッションだったのかどうかも分からない。

でも、そのごちゃ混ぜ感というべきか、意図せずして色々なサウンドが入れ混じっているような外観もこれまた一興であり、それからさらに飛躍して確かに言い切れるのは、この作品はさまざまな音楽的バックグラウンドを持った人、という意味では、全世界の人が楽しめる、ということ。
それだけ世界とのつながりを感じる音をしている。それだけ音が豊かである。

表現内容とサウンドとの整合

そうして、しばらくサウンドに魅了されたまま作品を聴いていったのちに、今度は改めてバーバルな表現について目をやって、その表現はどう言ったものだったろうかと考える。
このアーティストは、人間の究極の命題を各論に分けてそしてさらにその多くは当事者性を持って表現する。
「分かりやすい」という言い方が正しいのかは定かではないが、先の話でいうところの全世界の人に対してエクスキューズとエキサイトメントを与えるだけの曇りない表現がそこにはあって、ガチャガチャしていないという意味ではサウンドとの整合性の取れた作品といえる。

過去の集大成としての今作

そして、今度は特にこのアーティストがソロになってからの表現を思い起こしてみる。
このアーティストのこれまでの表現のほとんどは一期一会型と言って良く、同じ作品でも一回一回でその表現は変わってくるし、本人のインプット/アウトプットの内容も数ヶ月単位でどんどん変化しているが、そういった変化は、媒体や場所を変えてぶつ切りに/非永続的に表現されていた側面がこれまでは強かった。

しかし、今作によって、このアーティストがやってきた表現の大枠がアクセスしやすいところに半永久的に残っていく、ということになった。
(表現の変遷が形となっているという意味では、個別の音同士が混沌としているという既述のサウンドメイキングの話との整合性を感じられるかもしれない。こじつけだろうけど。)
つまるところ、『私的礼賛』は「和田彩花のこれまでの表現の集大成」だという言い方ができる。
そして、そのアーティストの歩んできたヒストリーだったりあるいは外部からの影響をコンテクストとして捉えて作品に結びつけて、ウェルメイドかつエキサイティングな作品を語るのは楽しいので、今作についてもこれまでの彼女の表現の変遷と結び付けて、色々と過去ベースで語りたくなってしまう。
つまり、ついつい、過去の表現が一堂に会しているという側面ばかりから、『私的礼賛』を考えがちになってしまう。
(もちろんアルバム未収録の楽曲があることは知っている。)

未来へ向けた作品でもある

でも、そうやって過去と今作を結び付けて勝手に楽しくなっていると、今作の表現内容が未来に対する表現であることを忘れそうになる。
思えばずっと、このアーティストは常に未来に意識をおいた、より良い未来のための表現を行ってきた。
今の世の中/社会ではさまざまな人間の交錯によって手に入らない、けれど本来みんなが持つべき豊かさを、未来の私たちやその子孫が掴めるようにするための表現を、和田彩花は常に行なってきた。
そして、その表現がこれまでずっと変容してきたことを考えれば、またこれからさまざまな変化が加えられるかもしれない。
そういう意味では、今作は「和田彩花の表現」という未来へ向かって走る線を繋ぐ点の一つでもあるわけで、『私的礼賛』は未来への作品だとそう言った言い方もできるであろう。

確かに過去の表現は素晴らしく、その素晴らしさは集大成として今作にも表れているし、それを語りたくなったりもするが、それ以上に「今後、社会がどういうふうに進んでいって、あるいは後退していって、その社会との関係を通して和田彩花の表現はどのように変化するのか、しないのか、あるいは表現しなくなるのか」を確かめたくなる、そういう未来への期待感、ワクワク感を感じさせる、そういう要素も強い作品なんだと思う。
だから、『私的礼賛』での言葉の表現は和田彩花のこれまでの集大成であり、そうだけれどもそれと同時に未来への期待感をも感じさせる、とまとめることができる。

そういった言葉での表現は、その音の心地よさとともにスッと入ってくる。

これが良い

『私的礼賛』を聴いて、上記のようにウェルメイドででもすごくエキサイティングな音と言語表現に触れて、リラックスした興奮のようなものを味わった。

そしてその興奮の先に気づいた。
僕にはこれが良い」ということ。

音も、バーバルな表現も、本当に居心地が良く、過去から未来まで作品を通して色々なところにエキサイトメントをもって想いを馳せることができる、そんな作品って自分のリアルタイムの作品では出てこなかったけど、やっと僕の前に現れた。そして、自分が特段フォローしているアーティストからそういう作品が出てきたことがまた本当に嬉しくて。

これで良いのでなく、これが良い。

こう言う音楽に出会えた自分は本当に幸せだ。
本当にさいこうだ。

しばらくはこの一枚にどっぷり浸かることになりそうだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?