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0.学生生活の終焉を迎えるために

残り半年くらいで学生生活が終わることへの焦りと不安


 もうすぐで学生という身分が終わってしまう。幼稚園から考えると約19年間が幼稚園生なり小学生なり、『学校』のような学びを得る場所に通っていた。来年の今頃には社会人として社会に揉まれ、働いている予定だ。

 小学生や中学生で将来に対して夢を見ていた時には、早く大人になって働いて、お金を稼いでみたい、と思っていた。しかし、いざ『学生』が終わると思うと、一生学生でいたい。守られる立場でいたいというのが本音である。大学生は半分社会人のようなもので責任は全て自分で取る、というのが一般論かもしれないが私が感じるのは、やはり守られているということ。大学外での活動は別だが、大学が含まれる場合最終的責任は大学ということも多く、本当の意味での自己責任となる場面は多くない。家族からも「まだ学生だから」という理由で多くの場面で様々な援助を受けてきた。そんな守られる立場で胡坐をかき、これまでを生きてきた。

 人生の22歳のうちの19年間が園児・生徒・学生であった私は、何か自分の人生で誇れるものがあっただろうか。この学生でいたいという気持ちは『学生』という身分に何かやり残していることがあるということなのか。社会人として働くようになってしまった時に、学生時代の何かを失ってしまうのではないかと形容しがたい不安を感じる。

 思い返すと意外といろんなことがあったりする。親からの期待だとか、無関心だとか。大好きなバンドとの出会いとか。高校転校とか。大学では文学フリマに出てみたり、とか。人生の節目の意外とある。そして今現在は、学生生活最後の試練とも言える、「卒業制作」をしている。本屋をめぐり、インタビューをして、終わりのないデザインと戦っている最中だ。

 そんな私の、19年間の『学生生活』の終焉を迎えるために、目に見える、カタチに残るものとして、このnoteに人生の第一幕『学生』を残しておきたい。時系列はぐちゃぐちゃで、書きたい時に書きたい時の話を書く。行き当たりばったりで、書いては消して書いては消してを繰り返す。

 実はこの文章でさえも、書き始めた日から一週間以上かけて書いている。もはや、書き進めてしまうことも学生生活を終えるようで悲しくなっているのかもしれない。

 誰のためでもない、自分自身のために文章を書き連ねるのだ。もし、この文章を目にしている人がいるならば、温かい目線で見て欲しい。これから書き連ねていく文章は、私による私のための私の文章である。恐らく、卒業を迎える2024年3月にはこの『学生』という幕が上手く下りているに違いない。


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