『幸せ』とは
はじめまして!
この投稿は一つ前の投稿の続きとなっているので、まだみてない方はそちらからまずみて下さったら幸いです。
この投稿では僕の過去と、僕が僕自身のこれからを考えた時にたどり着いた考え方について話そうと思います。
長文で拙い文章になるとは思われますが、お読みいただけたら幸いです。
高校の卒業式の後、クラスのみんなが打ち上げの場で思い出話に花を咲かせたり、希望や夢を抱きながらこれからの話をしているであろう時に僕は1人、大学の入学前に行われる宮崎遠征に参加する為にフェリーに乗っていました。
大学時代には部活をしているのでなかなか高校時代の友達と予定を合わせることが難しく、誰かが誘ってくれてもその度にサッカーがあるからと断っていたら次第にご飯や遊びに誘われることも減りました。なのでご飯や遊びに一緒にいくのはほとんどサッカー部同士ででした。それでも大学サッカーでは自分の追い求めてる理想と現実とのギャップに苦しみ、サッカーを中学の時に好きになってから以降、初めて楽しくないと思った時が多々ありました。
練習中や試合中、ボールを受けるのが怖くて、コーチや周りのチームメイトの目線が気になったことも何度もありました。大学1年の時には先輩に『お前ってそれでサッカーを嫌いになったりしないの?』って嘲笑いながら言われたこともあります。
大学3年の夏。これからだ!という時にCチームとの紅白戦で負けてしまい、その試合で無責任なプレーを連発した僕はBチームのキャプテンからCチームに落とされました。
大学卒業前にお世話になったコーチから誘っていただき2人で食事をしながらこれからのことを話した際には『卒業してサッカーを続けたとしても後2年くらいして働くのがオチだぞ。』といわれました。それを言われて、僕の為を思ってそう言った厳しい言葉をかけてくれてるのはわかっていたので、そのコーチにというよりかはいわれっぱなしでもなにも言い返せずにその場で黙って、感情を押し殺している自分自身に死ぬほど腹が立って、テーブルの下で拳を強く握り締めすぎて気づいたら爪から血が出ていました。
そして、大学の卒業シーズンに僕が必死に模索して見つけ出したドイツの道も、そしてコーチが僕のためになればと示してくれたスペインの道もコロナによって断たれてしまい、どうしようと迷ったこともありました。
大学を卒業した年は韓国で、毎日プロ経験者と切磋琢磨し毎週の様に韓国のセミプロ、プロのチームと試合を行うことで自信がついた部分はあれど、それでもまだプロの壁を越えることはできず、なんだったら冬にはコロナで中止になったテスト以外は全て一次試験の書類審査で落とされて経歴がない僕は直接プレーすらみてもらえませんでした。
そして帰国してからもテストに落ちて、怪我して最近までの約半年間まともにサッカーできず、ものすごく心がどん底のところまで落ちました。帰国して5年ぶりに会った鳥取に住んでいる大好きなおばあちゃんには『もう働けば?』といわれました。おばあちゃんは決して悪気があって言ったわけではないです。
パッと振り返っただけでも『過去』にはこれだけのことがありました。話そうと思えばこれ以外にもまだまだあります。
これまでのサッカー人生、特にプロを目指しますと自分の意思で口にしてからのサッカー人生は今のところ辛いことやしんどいことが9割です。
オーストリアに行くことを決意してそれを周りにも伝えた今でも、『俺ならやれる。』と強く思う反面、不安で押し潰されそうになる時もあります。もし今から半年以内にプロになれたとしても、僕は今23歳なのでサッカー選手の平均寿命を考えたら長くても残り10年程しかサッカー選手をできないのかもしれません。じゃあその後のセカンドキャリアはどうするのか?自分の将来に対する不安みたいなものは例えこれからプロになれたとしても一生付き纏うのかも知れません。というかプロになってからが本番で、プロになってからの方がしんどいことや辛いことは多いかもしれません。
『それでもサッカーを続けたいのか?』自問自答を何度も何度も繰り返しました。
そして、それでも俺は続ける。プロを目指す。といった決断を今回もします。
少し関係ない話をさせて下さい。
韓国から帰国してから僕は今、5年ぶりに実家で暮らしています。なので両親の呑みに付き合ったりすることも何回かあるのですが、2人は酔っ払うと決まって僕に『お前は今こうして生きてくれてるだけで奇跡やねんから幸せなことやで。』と言い放ち、嬉しそうに過去の話を始めます。
僕は通常妊娠10ヶ月で産まれてこなければいけないところを2ヶ月も早い妊娠8ヶ月で産まれてしまい、そのせいで産まれた時には片方の肺が開いておらず、産まれた瞬間死にかけました。しかしお医者さんのおかげでなんとか肺を開かせることに成功し、奇跡的に生還したのです。そういったことがあったので、親からすれば僕が元気に生きてくれているだけで『幸せ』なのかも知れません。
写真は僕が産まれてからすぐ生死を彷徨っている時に父が僕の近くに置いてくれた写真です。表は家族の写真。裏には韓国語で呉世心頑張れ!と書かれていてその下には家族の名前が書かれています。今では僕の御守りであり宝物です。
しかしそんな親に僕はずっと自分がサッカーでプロにな
ることができず苦しんでいる姿をみせてしまっています。
そこまでしてするサッカーってなんなんだ?
まだプロにもなってないし、これからプロになれる保証なんてなにひとつもないのに。
サッカーが好きで上手くなりたいから?
サッカーをするのが『幸せ』だから?
ていうか、まず『幸せ』ってなに?
幸せにも人それぞれの形はあるだろう。
じゃあ俺の『幸せ』の形ってなに?
物凄く考えました。
そしてその時に両親からよくゆわれる言葉が思い浮かびました。
『親のために頑張るとかそんなことはなんも考えんでええから自分の事だけ考えて自分の為に頑張れ。』
皆さんは言われたことがあるかわかりませんが、僕はこの言葉をよく言われてきました。そして思い返せば親だけではなくおばあちゃんや今までお世話になった人にも似たようなことを言われたことがあります。
そしてその都度何かその言葉に引っかかるものがありました。
なぜなら感謝しているのであればなにか恩返しをしたいと考えるものだからです。
それをこちらが別に恩返しをしたいと言ったわけでもないのに、そんなこと考えなくていいと先に断られるわけですから意味が分かりませんでした。
でも僕にそう言ってくれた人達は、見返りなんか求めずに本当に僕の『幸せ』だけを1番願ってくれてる人達だということだけはわかりました。
でもそういうことなら、僕も尚更その人達の幸せを願いたいし幸せにしてあげたいじゃないですか。
じゃあどうしたらその人達を『幸せ』にすることができるだろう?しかし、今の自分にはそんな大それたことはできないことは分かっています。
そして考えだした答えが、自分が『幸せ』になることでした。
単純なことで、僕の『幸せ』を本当に願ってくれてるのであれば、僕が『幸せ』になればその人達も『幸せ』なんです。
僕が今『幸せ』と感じることができていたとしたら、それは回り回って僕の幸せを心の底から願ってくれている人達の『幸せ』にも繋がります。
例えばスポーツの話に限らず、大学の時に知り合ってこれからも一生縁が切れることはないだろうと思えるくらい仲良くなった友達がいたとして、その子がその後起業して大成功したとします。
その活躍を知れば、あいつすげーな!となって自分のことでもないのに嬉しい気持ちになったり、そんな友達を持った自分を幸せに思ったり誇りに思うかも知れません。なぜそうなるかというと、その子に対して頑張ってほしい!といった様な心が自分の中に少なからずあるからです。
でもそれってその子からしたら、自分が頑張ってたら勝手に友達が喜んでくれているだけなのです。
そして起業して大成功したらしいね!おめでとう!とこちらから連絡かなにかでもしない限りその子は友達が喜んでくれてることに気づくことすらないでしょう。
そして僕にも友達でプロサッカー選手の友達が何人かいるのですが、僕はその人達が試合に出ているだけで嬉しいです。そしてもちろん悔しい気持ちもあり、俺も頑張らないといけない!と思います。
しかしその人達は、自分の親や大切な人の為に頑張ろうと思っているかも知れませんが、『世心の為に試合を頑張ろう』なんて思っているわけでもなければ、連絡を毎日取っているわけでもないので、僕が嬉しい気持ちになっているのさえわかっていないでしょう。
つまり、その人達は自分が頑張ってるだけで自分以外の人の事を勝手に少し幸せな気分にさせたり、その人達にやる気や勇気を与えているのです。
それってとても夢があって素敵と思いませんか?
今思い返せば僕が試合でゴールを決めると、きまって1番騒いでたのはいつでも母でした。息子がゴールを決めたことを嬉しく思い、幸せに感じているからです。
そしてもしプロ選手になって試合で点を決めたとしたら地球のどこかで今度は母だけではなく、チームのファンの人で僕自身は顔や名前も知らない様な人が喜んでくれているかも知れません。
つまりそういうことなんだなと気付きました。
ここまで色々と長く話しましたが、結局僕がなにを言いたいのかというと
自分自身が思う僕の『幸せ』の形とは、僕の幸せを願ってくれてる人のためにも『自分の幸せの為に自分が生きている今という時を必死に楽しむ』ということです。
僕の『幸せ』の形 = 『自分の幸せの為に自分が生きている今という時を必死に楽しむ』です。
それが結局は回り回って僕が大切にしたい人達も幸せにすることができると信じています。今は僕の馬鹿みたいな勘違いだったとしてもいいです。それを貫き通していつか素敵な勘違いにしてみせます。
そして『今』の僕にとってそれは
『オーストリアでプロサッカー選手をめざす』そして、『サッカーで生きていく』という道でした。
なので僕は自分の幸せを生きたいと思います。
そしてこれからもプロサッカー選手を目指します。
『過去にもっとこうしておけば良かった。』
『将来俺はどうなっているんだろう。』
もう死ぬほど考えました。
だからもう過去と未来は気にしません。
そして自分のこういった生き様をみせて、他の人に希望や勇気みたいなものをいつのまにか与えている様な人間になれるように、『今』を頑張りたいと思います。
長文失礼しました。最後まで読んで下さった方は誠にありがとうございました。
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