人生における後悔

アムネスティには思い出が多い。
約20年かかわってきた。

40歳を前に生活も落ち着き、
何かを始めようと思っていた頃。
妻がテレビでイーデスハンソンさんの話を聞き、
関心をもつようになり、ニュースレターが定期的に届いていた。
私も読んで賛同、地域グループをつくり活動を開始した。

活動を通じて多くの知人を得た。
中でも、年配の女性Aさんのことを思い出す。
親しく話したことはない。
しかし、時々、自筆の手紙や資料をいただいた。
Aさんの書いた本も読んだ。
とても共感できる本だった。

Aさんは、すでに亡くなって久しい。
彼女がまいた種は、いろいろな場で芽吹いていると思う。
残念ながら、私という種は芽吹いていないが。

Aさんを思うと、
人という生きものが哀れとなる。
非常に能力が高い人だった。
しかし、出しゃばることはない。

機会が与えられればすごい活躍をしただろう。
緒方さんに近い人。
アムネスティや市民運動の世界では
いくら能力があっても、限界がある。
日本ではマイナーな領域。

もっと、親しくおしゃべりしておけば良かったと思う。
人柄にふれる機会がなかったことをいくらか後悔する。

人生における後悔は、こんなことだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?