学校はいらない

約15年前、約3年半、毎日45分くらい、

近所の中学校に通った。

ボランティアで。

朝、校門で、全校生徒と挨拶。

目的は全員の顔を覚えるため。

そのあと、朝の自習時間を見学。

ときたま、時間をもらって、

私もミニ講義(10分くらい)。

また、校内新聞も発行。(8号くらい)

生徒会と一緒にイベントも開催(一回だけ)

その他いろいろ。


中学ともなれば、成長段階も個人差が激しい。

私の友人などは、

中3で愛人宅から通学していた。

同級に、まだ自慰も知らない者もいる。

この落差。

こういう多様な生徒を同時に

狭い教室で一斉に教えること。

それは明らかに不可能。

中学の体験で、私は、

不可能だと実感。

中学校と言わず、

小学校でも不可能と思った。


例えば、

図工や音楽や美術や演劇など

自己表現のアート。

そのアートに親しみ楽しむには、

その道を多少とも習得した人でなくては

できない。

例えば、音楽を例にして、

音に対する感性は人それぞれ、

教え方はその子に合わせなくてはいけない。

楽器も弾けて、作曲もできる子もいるし、

音感のない子もいる。

一人ひとりに違う指導をするというのは

先生が一人では難しい。

数人いても駄目だろう。

芸術課目は、

知識よりも、まず、楽しむことを身体で覚えて、

将来の生き方を豊かにする、

その子の人生につながるものとならなくては、

教える意味がない。

一人の担任が、

生徒の個性に合わせて、

教科ごとに、進みぐあいも変えて、

ある生徒は数学中心。

小3年で中学レベルを指導。

別の生徒は科学中心、語学中心というように、

指導を変えるのはとても困難。

一斉のテストもできない。

一斉授業ができない。

要するに多人数を同一教室で

一斉授業するのは、

小学校も無理、幼稚園でも無理。

「未来の社会」で前にも書いたが、

学校という教育制度は

原始的な野蛮な仕組みである。

近い将来はなくなると思う。


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