多様性
幸せとは何か。啓発本でよく目にする言葉だが、筆者の思う幸せとは「その人自身の判断軸に従順かどうか」だ。
周りには、結婚をして子供を授かり、マイホームを所有するという世間一般的に言われる幸せの形を体現している人が多くいる。
地方に行けばその傾向がより色濃く感じるわけだが、もともとそのような生き方を望んでいた人にとってこれ以上の幸せはない。やりたいことを実現しているからだ。その人にとっての正しい選択ができていると言える。
だが、その判断軸を世間一般的に言われている幸せに合わせようとすると途端にその人の「幸せ」は破綻する。
世間一般的に言われる「幸せ」に「幸せ」の答えがあるように錯覚してしまうと、自身の幸せの基準がないがしろになり、世間一般的な「幸せ」の形を体現することが目的化してしまう。これは言うなれば、「幸せ」を偽っているようなもの。やや大袈裟な表現に捉えられるのは致し方ないことだが、一般的デフォルト生活を送っている人で幸せそうな人はあまりいないように思えて仕方ない。
「幸せ」は決して私たちに一律的な答えを用意してくれていない。そうでなければなぜデフォルト生活を送っている人はみんながみんな幸せそうでないのだろうか。「幸せ」に対する答えは私たちの周りには用意されていない。「幸せ」とは自分の中にあるものであり、自分自身が心に秘めているものだ。そこに気づくことがなければその人の人生に「幸せ」は訪れない。
多様な情報に容易にアクセスできる現代だからこそ、自身の「幸せ」を自身で確立していかないと誰かのために生きる人生になる。
人生とは十人十色の「幸せ」を実現していくこと。「幸せ」は人の数だけあり、それを実現していくことにその人の個性が産まれるのである。そこに気づかずデフォルトの生活を送る模倣行為はその人の人生ではない。
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