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岡山の木下サーカスには頑張って欲しいですね!

あのシルクドソレイユも経営破綻し、世界中の舞台なんかが大きな影響を受けている中で、岡山の木下大サーカスは1人も解雇することなくがんばっているそうです!

創業者の遺伝子
木下サーカスの逆境でのふるまいは、昨日今日、身につけたものではない。拙著『木下サーカス四代記』に詳述したが、旗揚げは1902年。初代座長の木下唯助氏がロシアの租借地だったダルニー(のち大連)で軽業一座を起こしたのが始まりとされる。唯助氏は、関東大震災の直後、靖国神社にテントを張って被災者救援を行った。二代目の木下光三氏は、戦後、東南アジア諸国を巡業し、孤児院や福祉施設に寄付をして地域に溶けこんだ。

そうした遺伝子が現社長の木下氏にも受け継がれている。

木下家の経営訓は、「一場所(興行場所の選定)、二根(営業の根気)、三ネタ(演目)」である。肝腎の場所は、立川の不動産開発会社・立飛ホールディングスの好意で7月中旬に確保し、8月1日からのソフトオープンにこぎつけた。しかし、コロナ禍で各方面への営業は出遅れている。

クラウドファンディングを開始し、集まった資金は、今後の動物の飼育や設備のメンテナンスに投じ、一部は医療者に寄付する予定だ。木下社長は、「コロナ予防を徹底する」と言葉に力をこめた。

「多摩地域の皆さまに受け入れていただくには、何よりもコロナ対策。サーモグラフィでお客さまの体温チェック、マスクは必ずつけていただく。手指消毒もこまめにして、テント内の換気は、スウェーデン製の業務用換気扇34台とエアコンで法定数値の1・8倍で臨みます。

休憩中は4か所の出入り口を全開放。収容人員は900人に限定し、前後左右の間隔を1~1・6メートルあけて対処します。ステージとステージの間に、スタッフ、アーチスト全員で観客席の消毒、清掃をします。何度も予行演習をして本番に備えているんです。公演の途中での中止は、何としても避けたいですからね」

見えない敵、コロナとの戦いが続く。木下サーカスは、大家族的一体感で次の時代の扉を開こうとしている。

引用:【山岡淳一郎】コロナで大逆境の「木下サーカス」、一人もクビにせず「奇跡の復活」へ…! 世界のサーカスが潰れるなかで…

サーカスってほんとこの木下サーカスを何度か見てるんですけど、本当にすごいですよね♪テレビじゃ伝わらないあの迫力!

岡山から世界でがんばっている木下サーカスがまた岡山でナマで見れるのを楽しみにしています♪

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