アウトプット・ラバーダックデバッグの大切さを理解する

読んだ。

しれっと2ヶ月ぶりくらいに記事を書く。
間のひとつの記事は寒すぎて消してしまった。

私は何かを書き残すということが苦手だ。仕事中のメモ、予定量、タスクリストなど。
ただ、だからやりたくないというわけではない。
やはり何かに残しておく、つまりアウトプットしておくことの大切さは理解しているつもりだ。
今回この記事を読んで改めて理解した。

この記事では、初めて本を読むらしいみくのしんがその時の思考、感情を余すところなく垂れ流している。
読んでいて感情豊かな人だなと思ったところもあるが、少し立ち止まってみると、おそらく本を読む時、読者はある程度似た思いは持っているはずなのだ。
では、なぜこの記事ほどはっきりと外に出ないのか。

ひとつは、記事を前提としてアウトプットしていないからではないか。
そして次に、音読しているからではないかと考える。

まず、通常、人は本を読むとき、これを誰かに言うぞ! と思いながら読まないだろう。そのため、自分の感情への注意は低くなりがちである(個人の感想です)。これがアウトプットする人としない人の感情の度合いの差と考える。
そして、通常、人は黙読をする。
文字を目で追うと言うのは、音読に比べてかなり速度が速い。
よって、その文章を心に落とし切る前に次の文字は意識がいってしまうのではないか(個人の感想です)。これが音読する場合としない場合の感情の大小に影響しているのではないか。

この2つが重なり合うことで、一般的に人はこの記事ほど「走れメロス」を味合わないし、この記事でみくのしんはこれほど感情を持って行かれているといえる。

最後に、ラバーダックデバッグの効果もあるのではないかと考える。
ラバーダックデバッグとは、以下のウィキペディアを参考にしていただきたいが、システム的側面を抜きにして、簡単に言えば人に何かを説明することで自信の理解の深まりや過ちへの気づきを得るもの、と私は理解している。

この行為を今回みくのしんはかまどに対して行っている。書いてて気がついたがこれはラバーダック・デバッグではなくペアプロやレビューに近いかも知れない。
特に説明しながら感情が昂る様など、効果が感じられる部分が見受けられる。
このことが、1人で読書するだけでは得られない効果が得られたのではないだろうか(個人の感想です)。

最後に
やはり何かを出力し人に見てもらうことは重要なのだ。そう感じてnoteを書いた。

次回が近いといいですね。



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