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わたしの日記


最初に、これは全てうそであることを記しておく。が、書いたのは紛れもなくわたしで、それは本当だ。


父と母の性交を初めてみたのは小学三年生の時だった。友達が弟の話をしているのをうらやましく思い、「弟が欲しい」と母に言った2週間ほど後であったはずだ。その場では「それはお父さんにお願いしてみて」といなされたが、今にして思えばそれは夫婦仲を察する一つの手がかりだったのかもしれない。結局弟も妹もできなかった。

父はよそに女を作っていた。母はそれを知ったうえで何もしなかった。
わたしがそういった知識も機微も理解することになるのは、もう少し大人になってからだった。ただ、父が休日に家を空けることに対する直感的な嫌悪感だけがあった。

わたしはあらゆる面で非常に恵まれていた。父は市議で、母はピアノの先生であった。母は美しい人であったが、わたしはそれ以上に美しかった。二重、細い鼻筋、薄い唇、生まれながらに赤らんだ頬、細く長い脚など、現代においていいねを集めるのにふさわしい容貌を備えていた。
幼いころから大人たちに人形のようにかわいがられ、またそれが当然であるとどこかで理解していた。

欲しいものは何でも手に入った。幼いころから月刊誌は三冊買えたし、誰よりも豪華な人形遊びができた。片田舎の街では、なにかを持っているということがそれだけでステータスになりえた。
少しずつ大きくなるにつれ、恋愛というものが現実味を帯びてわたしたちの前にやってくるようになった。わたしが誰を好きであるかは男子たちの関心事のひとつであったし、気になっていると友人にこぼせばひと月もせずに当人から呼び出しがあった。少女漫画のように想い人が振り向く環境にわたしは満足していた。わたしは世界の中心にいると信じていた。し、実際にそうであった。

中学に上がると、まわりの世界は少しずつ変わっていった。大人と子供を揺れ動く多感な時期、というやつだ。けれど、わたしは世界の中心であり続けた。
先輩、という概念に呼び出され、何らかのメッセージを受け取ることが4月だけで3度あった。少女漫画で見たセンパイとはかけ離れた先輩たちのおかげで、断る際のマナーというものを身に付けた。これは今でも有用だ。
両思いが交際へと換言されていく中で、自然と性にまつわる知識も知るようになった。男子たちは私のいる場では下世話な会話を一切しなかったけれど、ほかの女子からいろいろなことを伝え聞いた。クラスメイトと情報化社会のおかげで、実際の性交を目にすることもできた。唾棄すべきそれらの名称を口にすることで盛り上がっている姿が、ひどく幼稚に見えた。

高校は遠くの進学校を選択した。わたしは幼稚な世界から逃げたかったのだ。級友はみな理知的で、品があるように思えた。制服を着崩してはいたけれど。
相変わらず欲しいものは手に入り続けた。学年きってのイケメン、と取りざたされていた弓道部の男と付き合った。雨の日、彼の弟が階下にいる二階の部屋で彼と性交した。彼に身を預けることで得られる幸福を理解した。恋愛映画のような恋の素晴らしさを実感した。
彼とTiktokのアカウントも作成した。音楽に合わせて踊ると、わたしたちはいたく賞賛された。熱心なファンのひとりから、読みたいとつぶやいた本をもらったこともあった。百合の花のフィルター越しのわたしたちは、彼女らにどう映っていたのだろうか。

わたしにとって彼は世界の一部であったが、彼にとってのわたしは世界のすべてらしかった。一年と半年付き合った。クリスマスプレゼントにもらった香水は、香りが気に入らず半分以上を捨てた。彼と別れた後、彼が全校集会で名前を呼ばれることはなくなった。

それなりに勉強して、都内の大学に進学した。それと同時に、両親が離婚の手続きを始めた。母は隣の市に引っ越した。
環境は変わったが、わたしは相変わらず主人公だった。わたしが飲み会に参加するかどうかは男子たちのモチベーションの一つであった。Instagramの右上から数字が消えることはなかった。サークルの理念について話していた黒髪の先輩の顔が好みだったので、ボランティア活動を行うサークルに入部した。

大学に入って二月ほどたった雨の日に、その先輩と寝た。なぜならそうするのが当然だったからだ。先輩は生ビールが実は苦手で、ベッドの下にゴムを置いていた。彼の家で宅飲みをするというだけで頬を赤らめていたあの同期は、このことを知っているのだろうか。彼は誕生日にマルジェラの香水とヴィヴィアンのネックレスをくれるような男であった。

先輩の就活が大詰めとなったあたりから、わたしは別の男と寝るようになった。同期の中でもよく気が利き、顔のいい男の家で過ごすことが多くなった。午前2時、彼とコンビニに行く習慣が何よりも愛しくなった。彼は関係に名前を付けなかった。

わたしのことを歌っているような音楽をよく聞いた。わたしの悩みを共有して、面白おかしく答えるYouTuberもチャンネル登録した。コメント欄には、わたしと同じ悩みを抱える人たちであふれていた。わたしは、わたしの悩みを言語化してくれる彼らのことを推すようになっていった。


これを書いている今日は履修登録の開始前日だ。ゼミも始まり、新しく後輩もできる。きっと彼らと出会っても、私は中心であり続けるのだろう。そして欲しいものはきっとこれからも手に入り続けるだろう。弟が高校三年生になり、家での会話に緊張感がある、と話す同期の話を聞いても、うらやましさはなかった。


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