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父に思いを馳せる③24時間以内

職場のHさんとAさんが駆けつけてくださり、状況を説明していると、まさかの、おじたちも姿を現す。20年ぶりの再会にとまどう。

Aさんが、
「俺が屋根の修理を頼んだんだ。申し訳ない。」
と言ってくださった。

けど、私も、家族も、ろくすっぽ父と関わろうとしなかった中、HさんとAさんをはじめとする職場の方たちが父と関わって公私とも支えてくださったから今の父がいる。今回のケガのきっかけはそうだったかもしれないけど、感謝の気持ちしかなくて、そしてもし、父が生き残って、でも仕事ができないような体になったとしても、できるなら、父とお友達でいてほしい。
そう伝えながら、涙が止まらない。

3階にある高度救命救急センターに家族が呼ばれる。でも、私は最近の父のことを何も知らない。「父と関わりの深い職場の方たちも同席していいですか?」と聞くも、家族(血縁者)にしか説明できない、と言われる。実生活の関わりよりも、血が繋がっていること、「家族」という形でいることの不思議さを感じずにいられないまま、申し訳なさを感じたまま、看護師さんに連れられ、1人で3階へ行く。

3階の椅子に座り、本来は事前に必要だった同意書に次々とサインをしていく。よく分からない、難しそうな薬剤を使って多くの処置をしてくださったことが、医療従事者でなくても分かる。

医師のY先生(のちに父の主治医となる)が現れ、どんな処置をしたのか教えてくださる。
Y先生がドクターヘリで現場に行ってくださり、出血がひどくて危険だと思ったので、その場で判断して、開腹し、処置を始めたこと、
頭は骨折も出血もしていること、
多発肋骨骨折で血気胸が起こり、肋骨が折れて肺に穴が空いているから今後息ができるようになるか分からないこと、
肝臓が損傷していること、
膵臓近くの大きな血管からの出血が一番ひどかったこと、
骨盤寛骨臼を骨折しており、今後歩けるようになるためには手術が必要だということ、
今は一時的に止血はできているが、細かいところまでは分からないため、お腹を開けっぱなしにしておいて、明日問題なければガーゼをとってお腹を閉じたいということ、
意識はどれだけ戻るか分からないこと、
2週間以内に息道の管を抜きたいができなければ気管切開をするということ、
そして、お腹と頭の出血は、24時間以内が山場なので、まだ分からないということ。

次に医師のM先生が現れ、
1〜2週間以内に骨盤の手術を予定していて、出血が多い手術になるので回収式自己血輸血をする、ということを伝えてくださる。
命の山場と言われる状況の中で、同時に、自分らしく生きていくために、歩けるようになるために、骨盤手術の日程を、もう組んでくださっていることに驚く。

次に主治医のD先生が現れる。
Y先生とM先生がしてくださった内容をまた話してくださる。

先生たちの説明を聞きながら、メモをとりながら、(医療用語の漢字も意味も全く分からないので全てひらがな)、分からないことを聞いてみると、どの先生も、丁寧に、分かりやすく教えてくださった。

どうせ医者は話を聞いてくれない、患者の顔(顔色)も見ずに、数値がどやこや言って、薬を出すだけ。数値や画像に異常がなければ、気のせい、と言われ続け、病院を毛嫌いし始めていたタイミングだったので、
病院が違えば、人が違えば、違うお医者さんたちがいること、そしてこの病院に父が運ばれて、この日、偶然の巡り合わせで処置してくださった全ての先生たちへ感謝の気持ちと、安心感が湧いてくる。

するとおじが3階に現れる。あぁ、20年間関わりがなくても、「血縁者」だから来れるんだ。とぼんやり思っていると、
「今日はもうすることがなさそうだから帰る。この状況で、生き延びたら地獄だぞ。金銭的な援助は一切しないから。」と言われ、そんなつもりで連絡したんじゃないのに、と思ったけれど何も言えず、一緒に1階に下り、来てくださったお礼を伝える。
このタイミングで妹も病院へ現れる。
HさんとAさんはいつの間にか帰られていた。

妹と3階へ戻り、看護師さんから、父が着ていた服や貴重品を渡され、緊急連絡先や入院手続きのことや必要な荷物についての説明を受ける。話を聞く時、新しいことに立ち向かう時、1人じゃなくて、他に誰かいることで自分の緊張感が少しゆるむ。

全て終わって病院を出たら、どっぷり夜。
24時間以内は父が急変して、また病院に来ることになるかもしれない、と思い、嫌がる妹を説得し、病院から近くのホテルを予約し、そこで一緒に泊まる。

家に帰りたいのに。生き延びたらどうするの?私が死んで欲しいと思うから死なないんだ。私の願いはいつも叶わない。
と言い続ける妹。

おじにも、妹にも、父と関わってきた年月の中でのストーリーがあり、その上で出てくる言葉たちなので否定はできない。
こうなったからと言って掌を返すことをしない意志の強さも感じつつ、
それぞれのストーリーも尊重したいと思いつつ、
でもそれを肯定できる懐の深さは私にはなく、
「それ、思うのは自由だけど、私は聞きたくない」とだけ伝えて、下痢ピーが始まりながらも(メンタルが弱ると下痢ピーになりがち)、
明日もきっと、たくさん動く日になるんだろうなぁとぼんやり思いながら、なんとか眠ろうとする。

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