うどん屋さんと星野道夫さんin秋の京都
旅先からこんにちは。
京都ひとり旅中です。
旅行の目的は、アンディー・ウォーホル・キョウトと、遠いお知り合いの方の個展と、神社めぐりです。
今日のnoteは、旅先で気付いた、うどん屋さんと星野道夫さんについて書いてみようと思います。
目的のひとつであったウォーホル展が、なんというか、刺激や新しい発見や心揺さぶられるものがあまりなかったので、(何回かウォーホルの展示に行って作品も覚えのあるものだったからかもしれません。)同じく京セラ美術館でやってたサンリオ展にも急きょ行くことにしたら、むしろそっちで「なつかしい!!」と、テンション爆上がりでした。
ウォーホル展(とサンリオ展)の後、美術館の近くにあるうどん屋さんに行きました。
超人気店みたいで、当日の朝に予約しないと入れないっぽかったので、何度か電話をかけて予約をしておきました。
(飲食店はできれば失敗したくないので、GoogleマップやSNSでの口コミやお店の雰囲気の分かる写真やお店の方の言葉など、事前にリサーチするタイプです。)
実際に行ってみると絶えずお客さんがいて、かなり忙しそう。そんな時は店員さんのイラだちや疲れが言葉や動きの端々に感じられてしまうのがよくあることかなって思いますが、このお店は、そんなこと全くありませんでした。イラだちや疲れどころか、言葉と動きにまごころがこもっていて、あたたかいお心遣いを感じ、私の心もあったかくなりました。
そして、こちら↑のうどんも、ごぼう天も、とっっっても美味しかったです。
うどんのモチモチ具合は生まれて初めて食べる美味しさでした。
ごぼう天はカラッとした天ぷらの歯応えと、こぼうのサクッという歯応えと、それと同時にごぼうの香りがフワッと口に広がり、そして横に添えられていたカレー粉をつけるとまた美味しいのなんのって。
そんな幸せな気分で食べながら、
「あの人にもここのうどんを食べてもらいたいな」と大切な人の顔が浮かびました。
と同時に、ふと、星野道夫さんの「旅をする木」の言葉を思い出しました。
本が手元にないので、どんな言葉なのか、私の記憶から引用してみます。
たしかこんな感じだったと思います。星野さんの言葉ではなく、アラスカかどこかで出会った現地の方の言葉だったはずです。
というか、そもそも、その方の言葉以上に、私の解釈がかなり入っている気もします。(帰ったら読み返そう。)
前置きが長くなりました。
うどんとごぼう天を食べながら、
まごころとあたたかいお心遣いを感じ、
美味しいなぁと感じ、
そういう感動をあじわった私は、
体のどこかあたたかいところから、私もそういう人になりたいなぁと、そういった気持ちが自然に湧いてきました。
この美味しいうどんを大切な人と食べたい、という気持ちだけでなく、「君が変わることだ」という、星野さんの本の言葉が、今まで落ちてた心のさらに奥に落ちたというか、そんな気持ちです。
その後京都御所を散歩しました。
野球をしてる人たちがいたので、紅葉越しにぼんやり見ながら、秋の美しい景色だなぁ。と思っていたらふと、
今、ベースを蹴りながら走っている彼に見えている景色は、おそらく私が見えているものと全く違うものが見えているんだなぁと思い、
私が見ている美しい景色の中にいる彼と、
同時にその彼が見ているだろう景色のそれぞれに想いを巡らせていたら、
全てがこのままで完璧に十分美しいんじゃないかって、なんだか不意に涙が出そうになりました。
夜、飲みに行ったお店も、お昼のうどん屋さんと同じく、お料理も、そこにいた人たちも本当に素敵でした。ここに通うために京都に住むのもありだなぁと思うほど。
「旅をする木」の大好きな言葉が、また違った風に心に響いて、そして思わぬところまでその響きが届いた、不思議な京都滞在です。
京都、来てよかったなぁ。(まだ旅行中。)
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