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初級

茶道を始め半年ほどで許状の申請を行い、2ヶ月ほど経って初級の許状「入門」「小習」「茶箱点」をいただいた。裏千家のシステムでは、これら許状を申請することでそのお点前のお稽古をすることを許されるようになるらしい。要するにここへ来て初めて裏千家への入門を許されたとも言える。

習い事を続けて何らかのステータスを得ることはモチベーションに繋がるし、資格マニアのような本性を私も備えているため、嬉しいことには違いないのだが、思ったほど心躍るようなものでもないと感じている自分がいることに気付いた。

あくまでこれは通過点であって、達成感を得る段階には至っていない。自らのお点前に不満があるからというのもあるであろう。現在ひたすら平点前の稽古を続けている。何度これを続けるのだろうと思いながら、一向に手順を覚えられず上達しない自分に少し苛立ちを覚えているのも確かだ。

先日、茶名を申請される姉弟子に当たる方とご一緒し、お茶を点てさせていただく機会があった。普段は先生と一対一で稽古をすることが多いため、他の人にお出しするのは慣れていない。

その時に「利休百首を思い出しました」と言われた。利休百首とは、「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」から始まる、お茶の心構えを説いた歌集である。私が普段使用している扇子も、この利休百首が書かれているものである。だがこれまでじっくりと読んだことはなかった。茶道を習う者の初心がこの利休百首にあるのではないか。ではまだ私は入門すら遂げていないのではないか。お茶の道は長い。じっくりと向き合っていきたい。

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