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チャイの話

※この記事は2022年4月3日のライブ配信の投げ銭用受け皿として書かれたものですが、単独でインド音楽周辺よもやま話としてもお楽しみいただけます。有料設定になっているのは投げ銭として購入いただけるようにするためで、本文自体は最後のひと文字まですべて無料でお読みいただけます。購入したからといって何ひとつ得るものがないにも関わらず、それでも購入していただけるという皆様の熱い熱いお気持ちが、僕らの明日を支える大切な大切な心の燃料となっておりますので、今月は少し余裕があるぞという方はぜひぜひどうぞよろしくお願いいたします!!

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《ライブ情報》

■2022/4/3(日) 音や金時インド音楽ライブ
会場: 西荻窪 音や金時
14:30開場 15:00開演 2500円(限定20席要予約)
出演: 寺原太郎(バーンスリー)
    森上唯(タブラ)

☆予約先 srgmpure@gmail.com
 または各出演者まで

☆ 配信アドレス https://youtu.be/3Gvw0E1RzWc


インドを旅する写真家、三井昌志さんのチャイに関するツイートがちょっとした物議を醸して、お陰で僕の引用リツイートも3万likeを獲得する僥倖を得た。これまでの最高が「甲殻類が少なくとも5回の独立したカニ化と7回の独立した脱カニ化を果たしたことが判明」というものだったから、インド音楽の演奏を生業とする者としては、インド絡みの話題の方がカニよりもヒットしてくれて本当に良かったと心から思ってる。

思ってはいるが、しかしこれだけ多くの人の目に留まり、多くの反応を頂くと、「や、そうじゃないんだけどな……」と感じることも多く、というより実際そういうのがほとんどで、なるほど、言葉と誠意を尽くして説明したって伝わらないこともあるのに、140文字のテキストデータだけで自分の思いをみんなにわかってもらおうだなんて虫が良すぎるよなと痛感した。三井さんもきっとそう思ってることだろう。
簡単にまとめると「インドでは初対面の人にも気軽にチャイを振る舞ってくれる文化がある」というのが元ツイートで、「そうは言っても睡眠薬強盗とか横行してるから観光地では貰っちゃダメ」というのが僕の引用リツイートの趣旨。ここでは三井さんのブログをリンクしておこう。

□ 三井昌志「チャイ屋に行けばインドがわかる」2022年3月17日
https://t.co/5Gq2wQ86MT


そんな訳で、mixiにも書いてTwitterにも書いたチャイネタをまたしてもこれからここに書くわけなのだが、インドではほんとよくチャイをご馳走になる。それは僕が旅人ではなく、ひとところに滞在して音楽を学び、彼らの生活文化の中に積極的に踏みこんでいくタイプの滞在者だったからかもしれない。

初めてのインド行きは90年代初頭で、チャイがまだ素焼きのカップで1杯2ルピー(6円ほど)、コーヒーが4ルピー、ネスコーヒーは6ルピーとかたしかそんな頃。インスタントの方が高いのは不思議だったが、「そっちの方が手間がかかってるからだ」とキリッとした顔で言われると、そういうものかと思えてくる。

最初からバーンスリーが目的の渡印だったので、着いて早々まずは楽器を手に入れなければ話が始まらない。最初に行ったのはボンベイの中心地から少し外れたダーダル駅前の笛屋さん。笛屋と言っても店舗がある訳ではなく、道端に所狭しと笛を並べて売っている、屋台の笛屋さんだ。

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そんなものを前にしてはもう嬉しくて舞いあがってしまう。なにせ憧れのバーンスリーがこれでもかと目の前に並んでいるのだ。あれもこれもと片っ端から手にとっては吹いて選んでいると、突然「チャイ飲むか?」と店主。真顔だ。目が笑ってない。ニコリともしない。あ、これ絶対アカン奴や、地球の歩き方にも書いてあった……と僕がオロオロしてるうちに、同行の中川さんはあっさりと頷いて申し出を了承。ほどなくしてチャイが3つ運ばれてきた。緊張と警戒でドキドキしながらおそるおそる口をつけてみる。隣りを見ると、中川さんは平然とそのチャイを飲みながら店主と談笑してる。平気なのかな?じゃあ僕も飲むか。

「ファクトリーに来るか?」と、またもや店主が真顔で聞いてきた。あ、これ絶対ついてったらアカン奴や、地球の歩き方にも書いてあったわ!と思ってまたもやオロオロしだす僕を尻目に、「いいね、見せてもらおう」と店主に付いて歩き出す中川さん。え、いいの?ダメなんじゃないのこういうの?アブないのでは?とは思うものの、中川さんはかつてインドに数年住んでいたことのある、初インドの僕にとっては経験豊富な引率の先生な訳で、彼が行くと言うのなら僕も行くしかない。どのみちここで僕ひとり取り残されても、自力では宿にすら辿り着けやしない。

「ファクトリー」は駅から10分ほど歩いた住宅街の一画にある、住居の下の狭い地下室、というか地下倉庫だった。その狭くて暗い室内に、笛と材料の竹がギュウギュウに詰まっていた。中央に、僅かに人ひとりやっと座れるくらいの隙間と工具が少々。立ち上がることすらできないその地下の狭いスペースで、彼はずっと笛を作っているのだった。毎日毎日、毎晩毎晩。何年も、多分何十年もずっと。小柄で痩身な彼の姿は、当時24歳の僕の目には老齢の笛吹きにしか見えなかったけれど、今思えば40代そこそこくらいだったのかもしれない。

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まあ、とにもかくにも、それが僕の、インドでの初めてのチャイ奢られ体験だった。
ちなみにこのダーダル駅の反対側には、当時世界で最も知られたタブラメーカーのひとつ、スワーミーハリダースがあり、その後何度も通うことになった。ハリダースは当時、世界的なタブラ奏者Ud.ザキール・フセイン御用達の職人さんだったのだ。

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そうそう、これは言っておかなければいけない重要な話だった。僕らがインドで楽器を買うときは、楽器屋には行かない。ではどうするかと言うと、それぞれの楽器を作っている職人さんのところへ行くのだ。もちろんインドにも楽器屋はある。でも、そこにはあまり良い楽器は置いてない(職人さんや工房が店を持ってる場合は別)。楽器は全部手作りで、ひとつひとつ出来が違う。よく出来た楽器は、作り手が買い手を選ぶ。なので、誰が買うかわからないような一般の楽器屋には、誰に買われても構わないような水準の楽器しか卸さないのだ。

だから僕らは、楽器が欲しいときは、直接それぞれの楽器を作ってる工房やショップに行く。タブラが欲しければ自分の好みに合ったタブラ工房に行き、欲しいタブラのキーや特徴を伝え、在庫がなければ作ってもらう。シタールだったら、身長や腕の長さを測ってもらい、服を仕立てるみたいに自分の体格に合わせた楽器をイチから作ってもらうこともある(その場合数ヶ月はかかる)。バーンスリーだと大抵どこもみんな数百本単位で在庫抱えてたりするので、その中から欲しいものを選べば良いのだけれど、何か特殊なオーダーがあれば「作っといてやるから再来週また来い」なんて言われたりする。

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だから僕らは、楽器が欲しいときは楽器屋には行かない。それならば楽器屋には何のために行くのか。そう、チャイを飲むために行くのである(やっと話が本題に戻った)。

陽射しが強い上に埃っぽいインドの町中を歩き回っていると、甘ったるくて熱いチャイが恋しくなる。何処か涼しいところに座って喉を潤したい。冷房の効いた店に入って注文してもいいんだけれど、なぜかそんなタイミングでめざとく楽器屋を見つけてしまうのだ。

すーっと引き寄せられるように暗い店内に吸いこまれる。まず店内を一瞥して広さと品揃え、客層、何か変わったものは置いてないか、などと手早く検分する。奥には暇そうな店主が独り座っていて、言葉を発さずに目線と顎の角度だけで「何を探してるんだ?」と聞いてくる。「何か良いものはないかってね」とこちらも手首の捻りと指の開き加減だけで返事をしつつ、とりとめもなく壁際の楽器を持ち上げて裏側を眺めてみてはまた棚に戻したりしながら徐々に、さりげなく、しかし着実に笛売場の方へと歩みを進めていく。
「あれ、こんなところに笛が?」まるで今気がついたという体で、籠の中にザクザクと無造作に立てられ埃をかぶった笛に目をやり、吹いてもいいか?と目で尋ねる。好きにしろ、と興味なさげに頷く店主。中から1本引き抜いて吹き始める。途端に俄然店主の関心が高まってくるのがわかる。

「どうだ、良い笛だろう?」
「まあまあかな。どこのメーカー?」
「○○村の△△だ。ミュージシャンか?」
「いやスチューデントだ」
「チャイでも飲むか」
「ありがとう♪」

とまあ、こうして熱々のチャイにありつけるという訳だ。店主はだいたいいつも暇そうにしてるので、むしろ飛んで火に入る暇潰しの格好の餌食である。どこからだ、日本では何をしてるんだ、子供はいるのか、食っていけるのか、日本で俺の店の支店を出さないか等々。こんな、インドでも暇そうにしてるようなインド楽器の店の支店が日本に出せる訳なかろうとは思うが、チャイ代程度には話に付き合う。
笛は、そこそこ良いのがあれば頂いていくこともあるし、そうでなければ何も買わずに店を出ることもある。「また来るから、今度は良いヤツ入れといてくれよな」とかなんとか言いながら。

その日も、幾つかの探し物を求めて炎天下のバザールを半日歩き回り、いい加減疲れきったあたりで、おあつらえ向きに人気のなさそうな佇まいの楽器屋を2軒見つけた。半地下の店と中二階の店だ。どちらにしよう。まあどちらでも同じことだ、と階段を上がる。

案の定他に客はいない。節約のためか電気もつけずに暗いままの店内は、冷房もないのにひんやりしていて気持ちいい。
入り口あたりで楽器を弄んでいると、店主が声をかけてきた。

「日本人か。タローテラハラを知ってるか?」

は?
一瞬、何を聞かれたかわからなくなる。
いや、タローテラハラは俺だが。でも知ってるかどうかと敢えて問われればどうだろう。汝、己自身を知るや、か。自分についてなんて、正直わからないことだらけだ。

「んー、イエスでもありノーでもあるかな」
「そうか。俺はタローテラハラのトモダチだ」
「何、それは本当か」
「本当だ。今証拠を見せてやる」

そう言って奥の机の引き出しからゴソゴソと店主が取り出してきた物、それは数年前に僕が使っていた名刺だった。
思い出した。
その時も僕は、炎天下の町中をフラフラと歩き続け、疲れ果てた頃に手頃な楽器屋を見つけてこれ幸いと中に入り、楽器を選ぶ素振りで涼みながらここでチャイをご馳走になっていたのだった。そうだった。

「なるほど、それは確かに僕の名刺のように見えるな」
「何、お前タローテラハラか!」
「そうだよマイフレンド」
「なんだ、暗くてよく見えなかったよ」
「嘘つけ」

店に来る日本人全員にそうやって声かけてたのだろう。どうやら僕の名刺はこの店でチャイ代以上の働きをしていたみたいだ。

「チャイでもどうだい、マイフレンド?」
「いいね、頂こう」

遠くバザールの喧騒が窓の外から聞こえてくる。チャイの甘みに全身の疲れが溶けだしていくようだった。

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