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タンプーラの話

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 ザヒルディンはタンプーラを調弦した。月の光が、分厚い石の壁をとおして降りそそいでいるのが感じられた。外に降露の気配が漂い、並木の闇からは、春の訪れを告げる花蕾のかすかな匂いが流れこんでくるのがわかった。 ワズィフディン・ダーガルに手渡されたタンプーラから、夜の気息がこんこんと沸き出していく。やがて、音の泉が石の部屋にあふれる。すると、その水面を渉る微風のように、ザヒルディンはただ一人、小さな、やや低い声で歌いだした。 

『インド ミニアチュール幻想』山田和
より抜粋


南北インド古典音楽を通じて最も多く演奏されている楽器は何かと聞かれたら、言うまでもなくそれはタンプーラだろう。最もポピュラーな楽器でありながら、最も謎な楽器でもある。これに似た楽器はちょっと他に類を見ない。最もインド古典音楽らしい楽器であり、最も重要な楽器でもある、今日はそんなタンプーラのお話。


タンブーラ、タンブール、ドンブラ等の名前を持つ弦楽器は、中国西域から東欧にかけて、ユーラシア大陸に広く分布する。いずれも長棹リュート族の撥弦楽器である。


上段左から:タンブール(トルコ)、タンブーラ(ブルガリア)、タンブーリツァ(クロアチア?)タンブール(クルド) 下段左から:タンブール(イラン)、ドンブラ(カザフスタン)、タンブーラ(ギリシャ)

変わり種として、こんなタンブールも。

左上:アフガニスタンの共鳴弦つきタンブール
右上:弓奏タンブール(詳細不明)
下:クロアチアのタンブール楽団



しかし、これら同族の楽器たちとインドのタンプーラTanpura には大きな違いがある。それは、インドのタンプーラ(以下、単にタンプーラと表記)は左手で弦を押さえて音程を変えたり旋律を弾いたりしない、ということだ。4〜6本張られた弦を、開放弦のまま、端から順番に鳴らしていくだけ。つまりタンプーラは、見た目こそ長棹リュート族ではあるけれど、機能的には完全に竪琴(ハープ)なのだ。
弦のチューニングは、4本なら順に完全五度、八度、八度、一度となる。Dのキーなら[A D' D' D]という風に(演奏ラーガによっては1本目が四度や長七度、あるいはそれ以外の音の場合もある)。


ジョワーンと豊かな倍音を響かせる音色の秘密はブリッジにある。緩やかにカーブする曲面状のブリッジの、絶妙に調整された僅かな隙間があることによって、振動する弦が駒に触れるか触れないかのところで微かに触れて、あの独特の響きが生まれる。言葉にするのは簡単だが、実際のジャワリの調整にはかなりの熟練した職人技が必要になる。ジャワリと弦との間に細い糸を挟むことで、糸の位置を変えてジャワリの効き具合を手軽に調整できるようになる。


実際に音を聴いてみよう。これがインド音楽で使われるタンプーラの音だ。
Tanpura Demonstration
https://www.youtube.com/watch?v=rVeFX4O4zT0

What is a Tanpura? Kaushiki Chakraborty Explains
https://www.youtube.com/watch?v=2QZi53ZQPVo




タンプーラを綺麗に響かせるには、幾つかの奏法上のコツがある。ポイントは、個々の弦の音を際立たせないようにすること。指先や爪で弾く(ハジく)とアタック音が目立ってしまうので、指の腹の部分で弦を押し込むように振動させる。指を離した瞬間よりコンマ数秒遅れて、ジャワリの豊かな響きが立ち上がってくる。その響きの影に、次の弦のアタック音を忍ばせる。指の腹で弾くためには、指をなるべく弦に平行に添わせると良い。目安としては、指先が横ではなく上を向く形になる。弦を弾く指先を見る必要はない(見ると大概失敗する)。

だがタンプーラを綺麗に響かせる一番の方法は、綺麗に響かせようとする意識を捨てることだろう。上手く弾こう、失敗しないようにしよう、失敗したらどうしよう、そういう意識はすべて邪魔になる。流れればいいのだ、川なのだから。何も考えずに触れば勝手に綺麗な音が流れ出す。タンプーラとはそういう楽器だ。自分が弾いているんじゃない。自分はただ蛇口を開けているだけ。蛇口を開ければ音が勝手に流れ出す。
ちなみに日本語では「タンプーラを弾く」という言い方をするけれど、ヒンディー語ではそうは言わない、という話を聞いたことがある。バーンスリーもシタールもタブラも「バジャオ!(弾け)」だけど、タンプーラだけは「チュオ!(触れ)」と言うのだそうだ。

しかしタンプーラのユニークな点はそれだけじゃない。タンプーラは伴奏楽器でありながら音楽の伴奏をしない。そこで奏でられている音楽の旋律やリズムに合わせることをしない。タンプーラの仕事は、そこで演奏されるラーガに相応しい響きをつくること。音の絵の具を使ってこれからその上にラーガの絵を描いていくためのカンヴァス、それがタンプーラの音だ。

タンプーラは、主奏者の演奏するメロディーやリズムにまったく関係なく、端から順に繰り返し音を鳴らしていくだけの楽器だ。主奏者やタブラ奏者が盛り上がっている時にも一緒に盛り上がることなく、演奏テンポが上がっても一緒に速くなったりすることなく、ただただ同じ調子で淡々と決められた音を弾き続ける。ならば何故それがそんなに重要な楽器とされるのか。実はその変わらずにいる、ということこそが重要なのだ。

Amir Khan

変わらないものを提示し続ける、それがタンプーラの役目。だからこの楽器は、ミュージシャンにはかえって難しい。ミュージシャンは無意識のうちに、ついついそこに流れている音楽に合わせようとしてしまう。けれどタンプーラの演奏においてはそれは邪魔になる。タンプーラの演奏には、水のような透明さが求められるのだ。機械的な正確さではなく、揺らぎつつも滔々と流れてゆく川の流れのように。ゆく河の流れは絶えずしてもとの水にあらず、という訳だ。
上手なタンプーラほど聴き手の印象に残らない。気配を消すのが上手い。1時間以上に及ぶラーガの演奏が終わり、最後に残ったタンプーラの音が消えた時にやっと、その音が今までずっと続いていたことに気づく、そういうのが良いタンプーラの演奏とされる。

タンプーラは響きを作り出す装置だ。音楽のための背景、絵を描くためのカンヴァス、サッカー場の芝、映画館のスクリーンだ。鳥にとっての空、魚にとっての水。それ自体が意識に上ることはあまりないが、それが綺麗に整っていないと途端にパフォーマンスに支障をきたす。インド古典音楽の微細な音程や精妙な音の扱いは、調律のとれたタンプーラの響きの中でのみ意味を持つ。

古典声楽では本来、2本のタンプーラを立てる。声楽者自身がタンプーラを弾きながら歌うことも多い。複数のタンプーラがある時は、お互いの発音タイミング等を一切意識せず、それぞれが自分のテンポとタイミングで演奏する。位相の違う音の波が重なり合うことで、より一層複雑で捉えどころのないサウンドスケープが完成する。

Girija Devi


Kishori Amonkar



声楽でも器楽でも、ほとんどすべてのコンサートでタンプーラを目にしないことはまずないが、器楽の演奏の場合、特にシタールやサロード等ドローン弦を持つ弦楽器では、演奏にタンプーラを用いないこともある。但しインド古典音楽は声楽が基本なので、あれはあくまでタンプーラが省略された特殊な形態と言えるだろう。また、シャーナイやナーガスワラム(ナーダスワラム)等ダブルリード族の楽器の演奏では、タンプーラではなく同じ楽器の伴奏者が数人、循環呼吸しながらドローン音を担当することもある。タンプーラという楽器が発明される以前のインド古典音楽は、おそらくこのような形で演奏されていたのではないだろうか。

Bismillah Khan and Party


これはいったい何なのか。何故音楽にドローンが必要なのか。どうしてそんな楽器が生まれたのか。

これはインド音楽を30年やってきての僕の感触にすぎないのだけれど、思うにタンプーラとは、この宇宙の開闢から終焉まで変わらずに存在するナニカの象徴なのだ。この宇宙の端から端まで、誕生から消滅まで、ずっと存在しどこにでも遍在する不変の真理、これをウパニシャッド哲学の言葉でブラフマンと言う。この普遍で不変の存在を、この時間この場所に切り出して見せてくれる楽器、それがタンプーラなのだ。
この永遠不滅の響きの中から音が生まれ、旋律になり、旋律は展開し、ひと時ラーガの生を謳歌して、最後はまたその響きの中に還ってゆく。それがインド古典音楽だ。ブラフマンから生まれたアートマンが再びブラフマンと合一する。梵我一如の境地。


だからタンプーラは神聖視されるのだ。それは古典声楽をはじめすべてのインド古典音楽の象徴であり、我々がそこから来てそこに還っていくその場所を示すものでもある。シタールでもタブラでも左利きの人は左構えで演奏することが多いが、タンプーラだけは左利きの人も必ず右手で演奏することになっている。それはきっとそんな理由からなのだと思う。



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