窓ぎわのトットちゃんに寄せて

先週「窓ぎわのトットちゃん」を
見てきたので今回は感想を。

黒柳徹子さんの半生の中のエピソードは、ご本人も著書やテレビで繰り返し語っておられますし、繰り返し映像化されています。こすられたエピソードであるにも関わらず、何度触れても感動的なのは、それぞれの作り手の徹子さんへの並々ならぬ敬意と、やはり徹子さんの生まれ持ったチャーミングさゆえではないでしょうか。

今回の映画も、6年ほど前にテレ朝で
放送されていた「トットちゃん!」と
細かい違いはそれぞれにあるものの、
子供時代はほとんど同じ部分が描かれています。原作、ドラマ、今回の映画と見比べるのも楽しいと思うので是非。
(「トットちゃん!」ソフト化されないかな…)

この映画を見て1番感じることは「徹子さんの生まれ持った良さが、全く失われることなく生きて来られて本当に良かったな…」という大きな感動です。「トットちゃん!」の主題歌、福山雅治さんの「トモエ学園」もそういうことを歌った曲ですが、やはりこの点は「黒柳徹子モノ」に触れる一番の醍醐味かもしれません。 

その「徹子さんの生まれ持った良さ」は
トモエ学園で花開きます。転校のために初めて赴いた際、「君の話したいことを何でも話してご覧」と言ってくれる校長先生に朝からお昼時まで話し(らしさ全開?)「君は本当はいい子なんだよ」と
言ってもらったことが彼女が自分らしさをまっすぐに育むすべての始まりとなります。校長先生も素晴らしいですが大人目線になると、お母様である朝さんもすごい。もし自分の娘が秩序を乱すから、と転校を言い渡されたら焦り、キツく叱って余計な悪循環を生んでしまいそうです。ですが朝さんは戸惑いつつも、娘を最善の環境に導く決断をします。これこそが徹子さんにとって、いちばん最初の大きな分かれ目だったと思います。 

トモエ学園でのエピソードで 特に印象的なのは、親友 泰明ちゃんの死です。
泰明ちゃんと徹子さんの心温まるエピソードのディテールは、今回の映画や本、そしてドラマで触れてみてください。
この2人のシーンがハートフルであればあるほど、別れのシーンが悲しく、辛い。
この点に関してはドラマよりも映画の方が重点的に描かれていたので
より、心に迫るものがあると思います。
ちなみに、泰明ちゃんは初めて徹子さんにテレビというものを教えた存在です。
これも大きな分かれ目の一つ。きっと
歳を重ねられた今も、泰明ちゃんは徹子さんの心のなかにいるはずです。   

ひとりの人間の人格形成の過程には、
いろいろな人や物事との出会いがあります。周りの大人が可能なのは、その子の人格形成のほんの手助けに過ぎないのかもしれません。
子供の数が減りつつある昨今、両親以外の周りの大人が担える部分は少なくない、と感じました。