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ウソつきボスは去ね!

 昨年度末まで勤務していた日本語学校の母体経営者が、はっきりくっきりウソをついていた。
 こんなに露骨にウソをついていいのか…いや、まちがいなく悪だと思う。それこそウソのようだが、事実である。

 3月末の雇い止め通知が来たが、理由がないので違法である。それで仲間とともにボスに面談を申し入れた。会ってくれた。
 「契約を続けて欲しい。国から休業補償金をもらいながら、留学生の来日を待ちたい」と伝えた。
 はたして答えは「国が補償金をやめると、会社が支払わなければならないが、そのお金がない」だった。「国はすぐに辞めるようなことはできません。少なくとも5年は続きますよ」と言ったが、信じられないと。
 それならと「では、留学生が来日したら、すぐ声をかけてください」と言った。ボスは「もちろんです。ぜひぜひ。そのつもりですよ」と繰り返した。笑顔で繰り返した。
 その時点でその面談は時間切れだったが、もうこれ以上は仕方がないとした。そして多少の希望を持った。半信半疑よりは、かなり下の希望を。
「あきらめ」に近い気持ち。これが精いっぱいだろうという気持ちである。

 はたして留学生が来日した。私たちに声はかからず、非常勤講師を募集していた。

 ボスはやはり、しっかりウソをついた。

私はもうこれ以上、ウソにつきあう時間がもったいないので、ノータッチにすることにした。
 他の文章でも書いたが、組合だ~、裁判だ~と騒げば、勝てるのかもしれない。
 けれど、ボスは弁護士などに相談した後、違法性を否定するウソ証拠を偽造することは簡単に想像できる。そしてそのウソをこちらがひっくり返さなければならないだろう。そんな時間は、人生の得か? という話になってくる。
 しかも勝ったとして、そこでまた働くか?  否である。まあ経営が苦しいならば、はした金でも慰謝料として取ってやりたい気もするが、嫌な気持ちが長続きしてしまうではないか。

 実はボスは以前からよくウソをついた。そのウソに嫌気がさして、校長が退職に至った。その苦労がしのばれる。
 その元校長によると、ウソを指摘すると「あの時はそうだった。今は違う」と言われるのだとか。それがウソ・契約違反だという認識にはどうしても至らず「責めるのか」と言ったりもしたらしい。
 経営上、どうしてもそういう場合もあるじゃないか、という意見もあるだろう。でも「どうしてもできない」場合は、きちんと謝罪して、それなりの慰謝をするべきだ。
 過去の言動や誓いなどを、何の努力もなしに軽~く覆すのは、ウソにほかならない。

 私は最近まで知らなかったのだが、なぜそんな恥知らずのウソを平気でつくのか、その訳がわかった気になる本に出会った。
 当該ボスは外国人である。
ボスの国の国民は平気でウソをつくのだが、なぜウソをつくか、ということを、その本では説明してあった。
 すご~くかいつまんで書くと「ウソをついてでも勝つことは賢い」と考えるのだそうだ。そして「騙される方が悪い」のだとか。
 武士道を貫きたい日本人とは、何と相入れないことか。これは日本人はおそらくいつでも負ける。わかっていても譲って負ける。

 実はその国について、世界各国から信用されていないという話をちょくちょく耳にする。契約不履行も普通にあるらしい。嫌われて当然だ。騙された相手が「ウソは賢いね、素敵だね」なんて言うか?   

 かなり偏見か?   ということを書いたが、もちろん、もちろんのこと、個人差はあるはずだ。正直者もいるだろう。きっと。
 清廉潔白な人ならどこの国の人でもいい。しかし、かのボスのような「ウソの文化」を日本に持ち込むような人とは、二度とお近づきにはなりたくないのである。

 
 

 

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