いつ、私は被災者になるのか?
関東に生まれ育って
ン十年、関東に生まれ育って今も居住している。これがどういう意味を持つか、もはや多くの日本人にはわからなくなっていると思う。
かの昔、そう、阪神大震災が起こる前くらいまで、日本では地震は全国区ではなかった。関東には地震が起こるが、その他の地域ではそう心配はしていなかった。
関東人は、約100年前の関東大震災から時間がたったが、かつては60年周期で大地震に襲われると言われ、いつ次の大震災が起こってねおかしくない、とさんざん言われて育った人が多いはずだ。私もその一人である。
避難訓練といえば、地震、それに伴う火災が定番で、その訓練は幼稚園から始まる。実際、地震も多く起こる。それが幸か不幸か、地震に慣れてしまうことを意味する。震度4はさすがにちょっと驚く。震度3は寝てしまえば起きないことも多い。それ以下は「あ、そう」という感じだ。
大阪の文通幼なじみと初めて銀座で食事をしたとき、震度1程度の地震があった。私は「あ、地震だ」と思った。無表情のままである。
そのとき友達は「………あの………」と小声で話しかけてきた。
友人「今、揺れたよね」
私「うん」
友人「そうだよね、地震だよね」
私「そうだね」
友人「え~だって、誰も何も言わないし、動かないし…」
私「?」
そこで初めて私は知った。関西に地震がないことを。愕然としたのを覚えている。友人は地震を無視して生きてきたことも初めて知った。
阪神淡路大震災が起こり、無視はできなくなった。
その後、私は九州出身者と結婚した。彼も友人同様、地震を知らず、
弱い地震が起こった時、周囲が何事もなかったかのように過ごすことに驚いたそうだ。
熊本地震が起こり、九州人も地震を意識しているはずだ。
3.11のときは自宅にいた。4階の自宅は、震度5くらいだったかと思う。
観音開きの食器棚から、グラスが落ちて割れる音を、洗面所で聞いていた。
その後ドアを開け、廊下にしばらく居た。このあたりは、訓練のたまものである。
「ついに被災者か?」と思って、心臓が暴れた。
でも、たまたまついていたテレビに映し出された仙台平野を津波が飲み込む映像を見て目を見張った。自分が被災者だなんて、とんでもない。
涙が止まらなかった。
長野…新潟…奥尻島…時期は前後するが、すべて、私の居住地ではない地区で、大地震や津波被害が出た。
夫は3.11直後、地獄のような勤務をしていた。放射線計測機の設計者だったからだ。
3.11当時、中学生だった息子は、相当、あの震災が心に残ったせいもあり、気象関係の仕事に入った。
私はまだ被災者ではない。それがとてもとても奇妙な気分だ。あれほど起こる起こると言われ続け、訓練も繰り返してきたのに、災害は、むしろ準備をしていなかった地区を襲っている。
能登半島地震。
もう、さすがに、次は私だ。そう考えて、きちんと備えを始めた。
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