育児と仕事と借金と。
子供たちが大きくなるにつれ、
段々と無くなってきたけれど。
子供が小さな頃は、
学校や保育園から
職場にかかってくる電話ほど
怖いものはなかった。
先生からの電話なんて、
よほどのことがない限り
職場にまでかかってこない。
そこをわざわざかけてよこすのだから、
だいたいが「すぐにお迎え」案件だ。
ケガや病気で病院に運ばれた、
というような内容ではなく、
「学校で嘔吐してしまったから
すぐにお迎えに来てほしい」
という程度であれば、
少しはホッとするのだけど・・・。
問題は、仕事を途中で抜けなくちゃ
ならないということ。
どんな仕事でも、
私が抜けたら
その穴を誰かが埋めないと
いけないわけで。
他の同僚たちの忙しさを
わかっているだけに、
この気まずさと言ったらない。
この、途中で仕事を切り上げて
保育園や学校にお迎えにいかないと
いけないパターンって
昔も今もどうにかならないものなのか。
今思い出しても辛かったなと思う。
近くにおじいちゃんおばあちゃんが
住んでいるとか
誰かの助けが借りられる人ならいい。
でも世の中そんな家庭ばかりじゃない。
私の場合、
自分の両親は健在ではなかったし、
そればかりか、
義父が残した借金を返すために
子供を幼稚園から保育園に
転園させてまで
働かなければならないほどだった。
一番しんどかった時は、
介護施設で
あるおばあちゃんの
お尻を洗っていた時。
排泄介助の最中に
子供の学校から電話がかかってきた。
寝たきりの方の排泄介助を
したことがある人ならわかると思うが、
すぐに切り上げて電話に出る、
なんてことはできない。
「お子さんの学校から電話よ」
と言われても、
とにかく手が離せないので、
「後でかけ直します」と言って
必死に介助を進めた。
その時
介助していたおばあちゃんからは、
「あんたもか!どうせ子供のところへ
行くんだろ!もう二度と来るな!」
と怒鳴られた。
そのおばあちゃんは
とても気難しい人で、
いつもキツイことを言っては
暴れるので、
なかなか皆がケアに行きたがらない人
ではあった。
「○○さん、今日はどうだった?
何か言われた?」
と、彼女のケアに入った後は、
同僚の間でよく励まし合った。
それでも、数日前から
ようやく心を開いてくれて、
どうにかこうにか普通の会話が
できつつあった、そんな矢先の
学校からの電話だったのだ。
機嫌を損ねて怒鳴られて、
これでもう彼女との関係も
終わったな、と思った。
そして、
それから二度と私には心を開いて
くれなかった。
それから数年が経ち、
その方の訃報を耳にした。
「亡くなった日、
家族が誰もお迎えに
来てくれなかったらしいよ」
と聞いて、とても切なくなった。
当時私は、
親の作った借金を返しながら、
何度も泣きながら
介護の仕事をして、
幼い2人の育児をしていた。
家の片付けもできないくらい
毎日がヘトヘトだった。
そんな私の事情を
その方はもちろん知らないけれど、
それでも、
子供のもとへと向かう
私のことが羨ましくて、
八つ当たりしたいくらい
寂しかったのかもしれないと思った。
子供が小さかった頃の
育児と仕事の大変さを
思い出す時、
私は決まって、このおばあちゃんと
借金のこともセットで思い出す。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?