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「タコの心身問題」から意識はどこからくるのか考えてみた

皆さんは、自分の意識はどこから来るのか一度は考えたことがありますか?私は意識というよりは心や感情がどこから来るのだろうかと日々考えています。

以前は脳が体を司り、脳の中に心や感情があると考えていましたけれども、最近は小腸によって意識、心、感情が支配されているのかなと、その考えについてはこの書評の最後に記述します。

本題に戻ります。「タコの心身問題」の著者は「精神と物質」を考察テーマとした哲学者であり、感覚、知性、意識がどのようにして物質から生じていくことを考察していく本になります。

この哲学者は哲学者を名乗っているのですが、生物学者にも見えます。それは、感覚、知性、意識を探るためにオーストラリアのタコをひたすらに観察するのです。

また、記述されている内容も進化の過程も記述されており生物学書としても読めそうなレベルなので、哲学書らしからぬ本に見えてしまい、そこが著者の狙いでもあると記述されています。

私個人としては、意識、行動、感情って改めて何だろうと考えさせられました。突き詰めて考えるといろいろ名の知れた物質が細胞に働きかけるから、意識も生まれるし、行動も生まれるし、感情も生まれるようにも感じます。ただ、そう事は単純ではないと思いますし、なぜこういった主観的経験を持たせて進化をさせてきたのか謎は深まるばかりでうーん考え込みます。時間があったから進化せざるを得なかったのか、「生きる」ために主観的経験を持たせる必要があったのか、根源は「生きる」というために進化をし、意識、行動、感情が生まれてきたのかもしれません。

そうすると「生きる」、「生き残る」という本能はすごいですね。すべての欲望に勝る思想なのですから。

私がこの本を読んで、タコが1年しか生きられないことを知ったときに非常にびっくりしました。そしてカメレオンのように体色を変化させるのは生き残るためだけと思っていましたけれども、どうも一方的な情報発信もしているようだと記述されていることです。

よくよく考えると発信しないと変化しないなと。芸術しかり、科学しかりです。だから、タコが1年の命しかなくても、誰もその情報を受け取りてがいなくても遺伝子レベルで変化を刻むためにやっている行為でもあるとも思えるのです。

人間は発信力・受信力・実現力が他の動物よりずば抜けているから、ここまで変われたのかと。ただ、多様性を認めようとしない人間の在り方は進化と言えるのかどうか、最近は疑問に思うことが多くなりました。

あまりにも自然や人間に対し、畏敬や尊敬を払わなくなってきているなと。

自然や人間に対し、畏敬や尊敬を持ち接する、自然を大切にしないといずれは自分の首を絞めることになることをもっと人間は自覚する必要があるのかもしれません。

もうちょっと自然や人間を観察してみます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

それでは、また。






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