雑記:本はよくよく選んだ方が良いけれど、いろんな種類の本も読んだ方がよい

皆さん、こんにちは。ゆってぃです。公私ともども凹みがちなのにさらに本を読んで凹むという悪循環。自分は自分の人生をどういう形にしたいんじゃという気がしてなりませんが、自分の選択した結果が今の形なのですから、自分のなりたい形を目指してひたすら選択していくしかないのですけれども、それにしてもなぁとブツブツ独り言が増えました。

最近、自分がはまっているのがノンフィクション系です。ハッピーエンドなノンフィクションを読み進めればいいのに、よりによってつらい現実を直視するような本ばかり選んで読んで凹み、懲りずに読んで凹みをここ数回は繰り返しています。

それでなくてもリアルでも地獄を見るような状態のはずなのに、何ででしょうか。もともと自分に「Mっ気」があったのか直視するのも嫌ですが、実は持っていたのかもしれません。あとは自分だけが「地獄」を見ているわけではないんだよと、自分で自分を鼓舞しているのかもしれません。

自分がンフィクションにはまっていく過程を自分で掘り下げてみると、過去に起こったことが歴史的に繰り返されていること、科学がどんなに進んでも人間は動物であり、生物であり、「死」から逃れられないことを考えると、あまり進化しないというか進歩が遅いというか何かを最近感じていて、せめて本を読んで過去を振り替えて、小さな平和から大きなうねりになるきっかけに慣れればいいとノンフィクションを読んでいます。

ただ、自分の想像を超えたところに人間の欲望がうごめくので、その欲望に充てられて自分の心が凹むのでしょうね。ノンフィクションを読んで人間の欲深さやしたたかさを痛感するこの頃です。

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ただ、実際問題、人間の欲深さ、したたかさを学んでおかないと、ひどい目に合いそうな気がしてならなくて、ついついノンフィクションの本を読んで謙虚でいなければならないと自分で自分を戒めるようにしています。

ハッピーエンドの本も心がホンワカしてとても楽しいし、うれしいのですけれども、こういったノンフィクションや人物伝を読んでいくのも大事だなと最近はよく思います、

特に歴史的に「独裁的な人」が過去に何回か繰り返しは出てきますけれども、今もそういう人がいて、コロナで大変なのに、争いもして、人種差別もあって、人間って何なんでしょうって考えてこんでしまったんですよね。遺伝子的に戦争するように、戦争するように組み込まれているような気がしてなりません。

そういう戦闘意識も「オリンピック」という形で解消されればよかったのでしょうけれども、すっかり商業化され、オリンピックが政治のにおいを感じるようになり、なかなかに切ないです。国上げてドーピングしてどうするんだって気もしますが、時の政権が権力をつかんでしまっている以上、選手も巻き込まれてしまうこの現実は、本当に言葉がでません。

最後に何が言いたいかというと、ハッピーエンドも大事だけど、過去に起こったこと、現在起こっていることのノンフィクションも読まないといけないよってことで、本文を閉めたいと思います。

最後まで読んでいただき感謝します。

それでは、また

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